saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章 「 第六の質問 」 (06)

(… 医者も患者も、どちらが水で どちらが薬か知らなかった

もし 医者が知っていたら、彼の ふるまいさえ 変わるからだ )

水を与えるときには医者はそれを 真剣には与えない

そうなったら患者のなかに 疑いが湧き上がる

だから 医者も患者も、誰も 知らない

それを知ることは、鍵をかけた地下金庫のように、極秘にされていた

そして奇跡的にも、薬によって 助かったのと同じ数の患者が 水によって 助かった

両方のグループとも、二十人のうち 十七人が ニ週間目までに 健康になっている

さらに奇跡的なことには

水を 飲みつづけた人たちの方が 薬をつづけた人たちよりも 長く健康を保ったのだ

ほんとうの薬を 飲んでいた人たちは、二、 三週間後には病気が ぶり返しはじめた

 

何が 起こったのか ? 

なぜ 水が これほど助けに なったのか ? 

これは薬だ という考えが 助けになる、薬 そのものが ではない

そして 水は 純粋な水だから 害になることはできないが、薬は 害になる

だから ほんとうの薬を 与えられた人たちは また悪化しはじめた

彼らは新しい欲望、新しい病気、新しい問題を つくりはじめた

どんな薬も、何かのかたちで からだのシステムに影響を与えずには すまないからだ

それには 副作用が つきものだ

水には どんな副作用も ありえない

これは純粋な 催眠現象だ

 

あなたは水を とても おいしそうに、祈りをこめて飲むことができる

そうすれば それはワインになる

あなたは、禅の人々が あれほどの儀式と作法をもって

あれほどの自覚をもって、茶を 飲むのを見る

ああなったら、茶でさえ 非凡なる何かに変わる

平凡な茶が 変容される

平凡な行為が 変容されうる

朝の散歩は 酔いを もたらすことができる

朝の散歩が 酔いをもたらすことができない と すれば、あなたの何かが まちがっている

ただ バラの花を 見つめることが、酔いをもたらすことができる

それが酔わせることが できないとしたら、何もあなたを 酔わせることは できない

ただ 子供の眼を 見入るだけでも酔うことはできる

 

瞬間を いかに楽しく生きるかを 学ぶことだ

結果を 期待しないことだ

それは とるにたらない

生は どこへも行こうとしていない、それは いっさい目的を 持たない

生は どんな目的のための 手段でもない

生は ただ、 い ま こ こ に ある

それを 生きることだ

それを 全面的に 生きなさい

それを 意識的に 生きなさい

それを 楽しく 生きなさい

そうすれば あなたは満たされる

満足は 延期されるべきではない

さもなければ あなたは けっして満たされない

満足は 今でなければならない

今 (ナウ)、さもなければ (オア)、永遠にない (ネヴァー)

 

 

(第六の質問)終わり・・・ 最後の質問へ 続く