saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「 平安に住する者 」 (15)

(…自我(エゴ) は この世界の種だ

この小さな種が 全世界を 内包している

「私がいる」と 感じてごらん、そうすれば ただちに全世界がその後に 続いて来る

 

 “ スブーティは言う

『私はアルハットであり 貪りを離れている』

 という考えは私には起こりません

 もしも おお世尊よ

『私はアルハットの境地を達成した』という考えが起こりうるならば

 そのときには 如来は私をこう宣言なさらなかったでしょう

『スブーティ

 この良家の息子

 平安に住する者たちの第一人者は

 どこにも住してはいない

 だからこそ彼は呼ばれる

 平安に住する者 平安に住する者 と』”

 

人が消えたとき、住する者が もういないとき

そのときには、平安が達成される

〈無〉は 仏陀のメッセージの味わいだ

人は その地点に 至らなければならない

自分がいない地点、ただ〈不在〉だけがある その地点に ーーー

だが そうなったら、誰も 主張することはできない

そうなったら誰も、やって来て それを言い、それを 自慢することはできない

 

仏陀を理解するためには

あなたは〈非在〉を 一瞥する必要がある

あなたは ただ言葉の上だけで 彼の言っていることを 理解することはできる

だが、 それは たいして役には立たない

それは、あなたを そのなかへ 深く連れていかない

あなたは それ を、ちょっと 一瞥しなければならない

そして それは可能だ

 

ときとして ただ 静かに坐り

何もしないで、静かなままでいる ーーー

 

あなたを搔き乱す マントラも なく

神の名さえも なく

特別な ヨーガのポーズで坐ることさえも なく

沈思黙考することさえも なく

瞑想さえも しないで ーーー

自分の部屋の中で ただ静かに 坐る

あるいは 樹のそばや 河のほとりで

草に 横たわり、星を 見ながら、あるいは 目を閉じて、ただ そこに いる

どこへも行かない エネルギーの貯水池だ

そして〈一瞥〉が あなたに 来はじめる

一瞬、 あなたは 自分が いて、同時に 自分がいないのを 感じる

 

あなたは いる

完全に あなたは いる

それでいて、あなたは いない

あなたはいないーーーそのとき はじめて、 あ な た が  いる

 

そうなったら、なぜ仏陀が 非常に逆説的で あるのかがわかる

あなたが いないときにだけ あなたが いる

 

すべてが 不在であるとき、大いなる 現前(プレゼンス)が ある

自我(エゴ) が 完全に消えたとき、あなたは〈全体〉だ、あなたは すべてだ

 

あなたは 水滴として消えて、大洋に なる

 

一方では あなたは 消えた

そして もう一方で あなたは現われた、 はじめて 現われた ーーー

 

〈光明〉は 死と復活だ

そして、それは 両方いっしょに、同時に 起こる

ここで死が 起こると、ただちに その後に 復活が続く

だが、あなたは 味わう必要がある

あなたは それを 賞味する必要がある

これらの言葉は たんなる言葉ではない、たんなる教えや 哲学ではない

それは 実存的な 体験だ

 

私はあなた方の 困難を理解している

たくさんの質問が 私のところへ来て・・・ 

 

(15)終わり・・・(16)ヘ 続く