saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第4話ーーーQ&A 最初の質問 (04)

…( しかし,社会は 強制的に あなたを大軍団の 一員にしようとする
社会というものは 自分自身の道を行く人を 決して好まない
社会は あなたに〈群衆〉の ひとりで いてほしい )

ヒンドゥー教徒でいるのは いい
キリスト教徒でいるのは いい
ユダヤ人で いるのは いい
アメリカ人で いるのは いい
インド人で いるのは いい
とにかく〈群衆〉の 一部で いろ
どの群衆でもいい,とにかく群衆の 一部でいろ
決して 自分自身でいるなーーー
だが,自分自身でいたがる人たちというのは “地の塩” なのだ
自分自身でいたがる人たち
彼らこそ 地上で最も価値ある人々なのだ
地上にまだしも 少々の尊厳と芳香があるのは
そういう人たちの おかげなのだ
ところが,そういう人たちに限って 自殺をする


サンニャースと自殺は 二者択一だ
これは 私の経験なのだが
あなたが サンニャーシンになれるのは
もしサンニャースでなければ 自殺しかない という地点まで来たときに限る
サンニャースというのは こういう意味だ
「自分は生きている間に ひとりの個人になるんだ !
自分は 自分の生を 自分なりに生きるんだ
命令されたり 支配されたりするのはごめんだ
機械みたいに,ロボットみたいに機能するのはごめんだ
自分は どんな理想も持たないし,どんな目標(ゴール)も持たないことにする
自分は瞬間の中に 生きるんだ
自分は 瞬間瞬間に応じて 生きるんだ
自分は 内発的で いよう
そして,自分は それに 一切を賭ける ! 」

サンニャースというのは ひとつの賭けなのだ


ジェーン,私は あなたに こう言いたい
私は あなたの目を のぞき込んだ
そこには 自殺の可能性も ある
けれども,私は
あなたが自殺をしなければならないだろうとは思わない
サンニャースで いけるだろう !
あなたは 自殺した一族の4人の人たちよりも幸運だ
実際のところ
知性的な人なら誰でも 自殺を犯す能力を持っている
絶対自殺しないのは 馬鹿だけだ
どこかの間抜けが 自殺をしでかしたというのを聞いたことがあるかね ?
彼は人生なんかに構っちゃいない
なんでその彼が 自殺しなければいけないことがある ?
稀少な知性だけが何かをする必要を 感じはじめる
なぜならば
いま生きているような生は 生きるに値いしないからだ
だとしたら,何かを 変えるがいい
それに 新しい形,新しい方向性,新しい次元を 与えるがいい
でなければ,なんでこんな悪夢のような重荷を 背負い続ける ?
日がな 一日,年がら年中・・・
そして,それは いくらでも続いてゆく
それどころか,医学は それをもっと長く引きのばす手助けを しようとしている
100年,120年ーーー
そして いまでは
人間は 300年近くも 簡単に生きられるということさえ言われている


ちょっと 考えてもごらん
もし人々が 300年も生きなくてはいけないことになったら
自殺率は ものすごく跳ね上がることだろう
なぜならば
そうなったら凡庸な心の持ち主でさえ
人生なんか無意味だと 考えはじめるだろうからだ


知性とは 物事を深く見抜くという意味だ
あなたの人生に何か意味があるかね ?
あなたの人生に何か喜びがあるかね ?
あなたの人生には何か詩があるだろうか ?
あなたの人生には何か創造性があるだろうか ?

あなたは自分が ここにいることに感謝を感じているだろうか ?
あなたは自分が生まれたことに 感謝しているだろうか ?
あなたは自分の神に ありがとう と言えるだろうか ?
あなたは あなたの ハート全体でもって
これは ひとつの祝福だと言えるだろうか ?

もしそれが できないとしたら
そうだとしたら,なんで生き続けているのか ?

あなたの人生を ひとつの祝福にするか
さもなければ なぜこの地球に負担をかけ続けることがある ?
消え失せなさい
誰か ほかの人が あなたの空間を占められるかもしれない
そしてもっと うまくやれるかもしれないーーー
こういう考えは,知性的な 心(マインド)には 自然に訪れるものだ
それは あなたが知性的ならば ごくごく自然な考え方だ
知性的な人々は 自殺を犯す
そして知性的な人々より もっと知性的な者たち
彼らは サンニャースを取る
彼らは積極的に 意味を創造しはじめる
彼らは 生きはじめるのだ
なぜ この機会をのがす ?


ハイデッガーは こう言っている
「死は私を孤立させ,私を ひとりの個人にする
それは私の死だ
私の属する大衆のものではない
われわれは ひとりひとり自分自身の死を死ぬ
死は くり返され得ない
試験ならば 2回,3回と 受けることもできる
2回目の結婚を 最初の結婚と比較することもできる
同様なことは たくさんある
だが,私は 一度しか死なない

結婚なら好きなだけ 何回でもできる
好きなだけ 何回でも自分の仕事を変えることはできる
好きなだけ 何回でも自分の住む町を変えることはできる
だが,死ぬのは 一度きりだ
死というものは あまりにも挑戦的だ
なぜならば
それは確かであり 同時に 不確かであるからだ
それが来る というのは 確かだ
それが いつ来るか
それは 不確かだ
それがゆえに,死については 大変な好奇心がある
死とは 何なのかーーー
人は それを 知りたがる
そして,この死についての黙想に 何も病的なところはない
それに関する非難は
人が その圧政をのがれて個人になることを妨げようとする
非個性的な “彼ら”ーーー〈群衆〉の,単なる方便にすぎない
必要なことは
われわれの生を 死に向かう ひとつの存在状態として 見ることだ
ひとたび この点に 達したならば
日常生活の陳腐と
名の知れない力への隷属から 開放される可能性がある
自分の死と そのように向かい合った者は
こうして愕然と目覚める
彼は いまや自分自身を〈大衆〉とは別個の個人として認め
自分自身の 生の責任を取る用意がある
このようにして われわれは
真正でない存在に対して 真正な存在を取る
われわれは 大衆から発して
ついには われわれ自身となるのだ 」


死について思いめぐらすことだけでも
あなたに ひとつの個性を
形を,姿を,定義を 与えてくれる


(04)終わり・・・(05)へ 続く