saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「宝もの The treasure 」 (07)

f:id:saleem:20220320093123j:plain

この話は、意識の第二の状態に関わっている。
一般に、あらゆる夢は第二の状態、夢見の状態の中にある。
欲望は 夢だ。
ゆえに、夢のために 努力しても、初めから失敗が運命づけられている。
夢は 絶対に実現しない。
たとえ、ほぼ実現したように思えても けっしてそうではない。
本来、夢は空虚だ。
中身は何もない。


第三の状態は 眠り、深い眠り、スシュプティだ。
その状態では、夢は すべて消える。
だが、 意識の方も すっかりなくなる。

起きている間は 少し、きわめて少しではあるが 覚めている。
夢を見ているときは、その僅かな覚醒さえ なくなる。
だがそれでも、ごく僅かに 意識がある。
だから 朝に 夢を、これこれの夢を見たことを 思い出せるわけだ。
けれども、深い眠りの中では それすらなくなる。
あたかも あなたが 完全に消えてしまったように。
何も 残らない。
無が あなたを包む。

これらは、三つの 普通に見られる状態だ。


第四の状態は トゥリヤと言われる。
それは 単に「四番目」とも言われる。
トゥリヤは 四番目という意味だ。

第四の状態は仏陀の状態で、ひとつだけ違ったところのある 深い眠りのようなもの と言っていい。
だが、 その違いは きわめて大きい。
それは深い眠りと 同様、安らかで 夢もない。
しかし、完全に 油断なく覚めている。

クリシュナは ギーターの中で、真のヨギは けっして眠らないと言っている。
それは、ヨギが部屋で 一晩中起きて座っているということではない。
そのようにしている 愚かな人もいるが、真のヨギは眠らない というのは、寝ている間も 油断なく覚めている という意味だ。


アーナンダは、四十年間 仏陀とともに暮らした。
ある日、彼は 仏陀に尋ねた、「ひとつ、とてもびっくりすることがあって、私は興味をそそられています。
ぜひ答えてもらわなければなりません。
好奇心からに過ぎませんが、もう心の内に置いてはおけないのです。
夜、あなたが眠っているところを、何時間も見続けていたことが何度もあります。
あなたはまるで、起きているかのように 眠っています。
とても優雅に眠っています ーー 顔、体、すべてが 優雅です。
他にも、多くの人が眠っているところを見てきました。
でも、寝言を言い出し、顔は歪み、体は優雅でも美しくもなくなってしまう」

美というのはすべて、管理し統制し訓練しなければならない。
深い眠りのとき、美は すべて消え去る。

「それからもうひとつ、あなたはけっして姿勢を変えず、同じ姿勢でいます。
最初に手を置いたら 一晩中そのまま、変えることがありません。
奥底に、完全に覚めた意識を保っているようです」と アーナンダは言った。

「そのとおり。 瞑想が完全なときに、そうなる」と 仏陀は言った。


そのとき、実存の奥深くまで覚醒し、四つのすべての状態で 意識的になる。
四つの すべての状態が 覚醒すると、夢は 完全になくなる。
注意深いマインドには、夢が存在できない からだ。
そして、普通に覚めた状態は、グルジェフが『自己想起』と呼んだところの、特別に覚めた状態となる。

人は 一瞬一瞬、自分を 完全に思い起こす。
間隙はない、想起は連続する。
人は 光り輝く存在になる。

そこには深い眠りがある。
だが、 その質は まったく変化している。
体は 眠っている。
だが、精神(ソウル)は 油断なく覚め、見つめている。
体全体は 深い闇の中にあるが、内なる 意識のランプは こうこうと燃えている。

この物語には こう書かれている。


長年に亘るひどい困窮も
エイシクの神に対する信頼を揺るがすことはなかった
彼は夢を見た
何者かが、プラハの王宮に通じる橋の下にある宝物を探せと命ずる夢だ


何年にも亘る ひどい困窮のあとでは、宝物の夢を見始めて当然だ。
私たちは、常に 持っていないものを 夢見る。
一日中 断食すれば、夜、食べ物の夢を見る。
禁欲を強いれば 夢は性的なものに、性的色彩を 帯びるようになる。

そこで、精神分析は 夢の分析が きわめて重要だと言う。
夢は 抑圧しているものを示すからだ。
夢は マインドの中に抑圧されてものを 象徴的に表す。
もし、絶えず 食べ物、ご馳走の夢はを見るのであれば、単に その人が 飢えているということだ。
ジャイナ教の僧侶たちは、いつも食べ物の夢を見る ーー 僧侶たちは そう言うかもしれないし、言わないかもしれないが、断食をし過ぎれば、食べ物の夢を見ざるを得ない。

そういうわけで、多くの宗教的聖人たちは 寝入るのを恐れる。

マハトマ・ガンジーでさえ、眠るのを とても恐れた。
彼は 寝る時間を できるだけ減らそうとしていた。
宗教的な人々は、寝すぎないようにすることに 重きを置く。
四時間、多くて五時間。
三時間が理想だ。
なぜか ?
いったん肉体が 必要なだけ休息を取り終えると、マインドが 夢を紡ぎ出し、抑圧してきたものを 浮かび上がらせるからだ。
マハトマ・ガンジーは言った、「覚めた意識においては禁欲を続けてきたが、夢の中ではそうではない」と。
ある意味でガンジーは、聖人と呼ばれる人たちよりも正直だ。
少なくとも、夢の中では 禁欲していないことを認めた。

夢は、昼間 抑圧していたものを すべて明るみに出す。
だから、夢の中で 禁欲していなければ まだ禁欲者ではない。
夢は、抑圧しているものを 意識に戻す。
夢は 無意識の言語であり、「こんなことを しないでくれ。 耐えられない。
この馬鹿げたことを やめるのだ。
君は、私の 自然な、本来の姿を 破壊している。
何であれ、私の中にある可能性が 現実化するようにしてほしい」という 無意識からの伝達だ。

何も抑圧しないとき、夢は消える。
だから 覚者は けっして夢を見ない。
瞑想が深まれば、夢がどんどん 少なくなっていくのがすぐにわかるだろう。
夢が 完全に消え去り、眠りの中で 清澄な状態に達したとき、雲も 煙も 思考もなく、夢による妨害のない 単なる静かな眠りとなったとき、あなたは 覚者となる。
そのとき あなたの瞑想は 実を結ぶ。


人間は非常に 小賢しいから、夢が理解されねばならない、と 精神分析は主張する。
起きている限り、人間は 欺くことができる。
だが、 夢を見ているときは 欺くことができない。
夢は より正直だ。


(07)終わり・・・(08)へ 続く