saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 内なる導き 6️⃣

(…そうすれば、その中心が顕れる。 それが導き手だ。 それは 無意識の中に隠れている。)


だから 無意識を 恐れる必要はない。

だが、フロイト的無意識は 恐れるべきだ。
でも、このフロイト的無意識は、浄化(カタルシス)の中で 廃棄できる。

だからこそ私は、浄化を 盛んに勧めるのだ。
このフロイト的無意識は、浄化の中で廃棄できる。


必要なのは、今まで したくてもしないでいたことを、何でもすることだーーー ただし瞑想的にだ。

他人に向かって してはいけない。
さもないと 連鎖を生むし、自分のコントロールも できなくなる。
だから虚空の中で行なう。

もし 怒っていたら、それを虚空の中で行なう。

もし性欲を 感じていたら、それを 空の中に投げ捨てる。

自分の 内側に あるものを、何であれ、外へと向かわせる。

表現する。


瞑想的浄化は フロイト的無意識を 除去してくれる。
私の教えている技法に従えば、フロイト的無意識は 簡単に消え去る。

このフロイト的無意識が消え去って 初めて、真の無意識に 入っていける。


部屋の中に ゴミを捨て続け、その部屋を閉じてしまったら どうなるか。
部屋は ゴミ捨て場になっていく。

フロイト的無意識は ゴミ捨て場だ。


ゴミを 中に捨ててはいけない。
捨てるなら 外に捨てる。

中に捨てたら 病気になる。
精神異常になる。

外に捨てれば、爽やかに、若々しく、軽やかになる。


現代人には 浄化が 不可欠だ。

浄化なしには、誰も 内なる導き手に到達できない。

深い浄化を行なえば、もはや恐れる必要はなくなる。

すると 真の無意識が 自らを顕し始める。

その無意識は 意識の中を貫き、そうしてあなたは 生まれて初めて、自分の広大な領域を 知るようになる。

あなたは そんな小さな断片ではない。

あなたには、はるかに広大な存在がある。
その広大な存在には 中心がある。

その中心こそが 内なる導き手だ。


どうやって無意識と 内なる導き手を 区別するか。
どうやってフロイト的無意識と、内なる導き手を区別するか。

浄化を経ていない人間には、その区別は 難しい。
でも その違いは、だんだんわかるようになる。
なぜなら フロイト的無意識とは、抑圧されたものだからだ。

もし何かが 自分の中で 暴力的に現れるようだったら、その暴力的な力の出現は、もともと自分が それを抑圧していたからだ。

でも 何かが、暴力性を伴わずに現れるようだったら------音もなく 静かに湧き上がってくるようだったら、それは 真の無意識だ。

その導き手によって 何かが もたらされる。

ただし、その違いを会得するには、まず 自分自身の浄化(カタルシス)が 必要だ。

そうすれば 要領が わかってくる。


フロイト的無意識から 何かが現れると、何か落ち着かない感じがする。
心が 乱れてくる。

一方、内なる導き手から 何かが現れると、穏やかさが 感じられる。
その幸福、その安らぎは、想像もつかないほどだ。

ただもう「これだ!」と感じるばかりだ。
自分の存在全体が それと調和する。

何の抵抗もない。「これは正しい」と あなたは知っているーーー「これは良い、これは 真だ」と。

それについては 誰も 口をさしはさめない。

一方、フロイト的無意識の場合、決して 穏やかにはなれない。
決して 安らかにはなれない。
心 乱れるばかりだ。

それは 一種の病気だ。
その病気が 出現してくる。

そして それに対する戦いが起こる。

だから まず、深い浄化が必要だ。
そうすれば、このフロイト的無意識は 徐々に静まる。


7️⃣へ 続く