saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 内なる導き 5️⃣

第二の質問
「無意識的な心(マインド)の指示と、内なる導き手の指示は、どう区別したらいいでしょう。
どうしたら、内なる導き手が働いている とわかるでしょうか」。


第一点。
フロイトのせいで、「無意識」という言葉が ひどく誤解されてきた。
フロイトは 無意識を 完全に誤解した。
その解釈は まったく誤っている。

そして 現在、マインドに関する知識の根底をなしているのが、フロイトだ。

彼の言う 無意識とは、抑圧された意識 にほかならない。

意識の 抑圧された 部分だ。


悪いもの、不道徳なもの すべては抑圧されてきた。
社会によって許されないものは、どうしても 内側で 抑圧される。

その 抑圧された部分が、フロイトによれば 無意識だ。

しかし 神秘家にとっては違う。
フロイトは 神秘家ではない。
彼は 自分自身の無意識の中に 入ったことがない。

ただ患者の症例を観察しただけだ。

その患者とは、病人、異常な人間、狂人だった。

彼は そうした病的なマインドの 研究を通じーーーそれも外部からの研究を通じ、結論に達した。

その結論によると、意識の すぐ下には無意識的なマインドがある。
そして その無意識的なマインドの中には、幼時から抑圧されてきたものすべて、社会によって 悪いとされてきたものすべてがある。

そうしたものの 存在を 忘れようと、マインドは それを押さえつけてきた。


でもそれは 存在する。
そして 絶えず働いている。

しかも、きわめて強力だ。
絶えず 意識を変形させている。
絶えず 意識を罠にはめている。

それを相手にしたら、意識は まったく無力だ。

相手が強力だからこそ 抑圧する。

社会には どうすることもできない。

だから社会は それを 抑圧し続ける。
はかに 方策を知らない。


たとえばセックスだ。
その強力さたるや、もし 抑圧しなければ、いったいどうなるかわからない。

きっとあなたを 危険な道へと誘うだろう。
凄まじいエネルギーだから、もし放置しておいたら、社会全体は 混乱状態になるだろう。

もし 完全な自由が 許されたら、結婚は存在できないし、愛も存在できないし、いっさいは混乱状態になるだろう。
みな 動物のようにふるまうだろう。

結婚や家族が なくなれば、社会は倒壊する。

社会は 家族という単位に 基礎を置き、家族は 結婚に基礎を置き、結婚は 性の抑圧に基礎を置いている。


自然で強力なものは すべて抑圧されてきたーーータブー視されてきた。

その強力な抑圧によって、あなたは 罪悪感を植え付けられ、絶えず それと闘っている。

社会は 外側に警官をつくっただけではない。
内側にも警官をつくった。
つまり 良心だ。

あなたが 道を踏み外さないための、二重の安全弁だ。

それであなたは 自然になれない。
不自然でいるほかない。


そして今、心理学者によると、精神異常は 文明の一部分だ という。
狂気のない文明はない。

精神異常の原因となるものは、秩序の強制による 自然な本能の阻害だ。
それで 異常が現れる。

おそらく、精神異常者は 常人より強力なのだ。
だから 内なる本能が反抗し、良心やマインドといった すべてを捨て去ったのだ。
それで 異常になった。


人類社会が向上し、正しい理解と知識が広がれば、現在の精神異常者も 有用な人材と なるかもしれない。
天才であるかもしれない。

いわゆる狂人たちは ときに、きわめて才能豊かな人間であったりする。実際そのとおりだ。
彼らの内側には、あまりに大きな力が あるゆえに、自分自身を 抑圧できない。
だから 社会は 彼らに自由を許さない。
彼らは 常軌を逸している。

フロイトの達した結論によれば、文明は無意識を必要とする。
つまり 抑圧された部分を必要とする。


しかし、タントラや ヨガにとっては、この無意識は 真の無意識ではない。
それは、無意識と 意識の狭間にある 小さな中間層だ。
潜在意識だ。
意識は それを押さえつけている。
でも意識は それについて知っている。

それは 真の意味で 無意識ではない。

あなたは それを知っている。
でも認めたくないーーー注意を払いたくない。
もし 注意を払って、それが表面に現れてきたら困るからだ。

だから 闇の中に 押し込んでいる。
でも 意識はしている。
フロイト派の無意識は、真の無意識ではない。
潜在意識だ。

それは 闇夜ではない。
明るすぎるくらいだ。
だから 見ることができる。


タントラは 真の無意識について語る。
その無意識とは、自分によって抑圧されたものでなく、自己の 最深の存在だ。
そして 意識とは、光の中に現れた その一部にすぎない。
それは無意識の十分の一であり、光を見た部分、意識的になった部分だ。
十分の九は、その下に隠れている。

その 無意識は、あなたの 生エネルギーの源泉であり、あなたの存在だ。
意識的なマインドは、マインド全体の十分の一だ。


ところが、この意識的なマインドが 自分で中心をつくっている。
その中心こそが エゴだ。
この中心は 偽りだ。
なぜなら、この中心は マインド全体のものではないからだ。

マインド全体の中心ではない。
たんに 一断片である意識的な部分の中心だ。
その断片が 自ら中心をつくりだし、その中心が まるで存在全体の中心であるかのように装っている。


マインドの 全体 には 中心がある。
その中心が 導き手と呼ばれるものだ。

その中心は 無意識の中にあり、それが顕れるのは、断片の五つが、つまりマインドの半分が、光の中に現れたときだけだ。

そうすれば、その中心が 顕れる。

それが 導き手だ。

それは 無意識の中に隠れている。



6️⃣へ 続く