saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質問・・・「OSHO, 昨夜 あなたは 内なる静寂という次元から来る内なる静けさについて、話して下さいました。 今度は、別の次元から来る内なる静けさについて話してくださいませんか?」04

ブッダ曰く
「歩く時は ただ歩く。

 食べる時は ただ食べる。

 話を聞く時は、ただ聞くことだ」


自分が 今している行為の中に、全面的に在ることだ。

マインドが、どこか他のところへ行くのを 許さないことだ。

それは すばらしい経験だ。

というのも、突如として、現在の瞬間が、割り込んで来るからだ。
あなたの 夢の世界の中に、実在の世界が入って来る。

もし それを垣間見たら、たとえ それが一瞬であっても、あなたは 別人になる。

そうすれば あなたは、あなたを取り巻く たった今、ここにある何かを 知るだろう。

あなたは それを 見逃している。
自動化した習慣のゆえに、あなたは 見逃している。

人は、非自動化しようとする以外には 何もできない。

時々、意識的になることで、奇跡が起こる。

昔の、革命以前のロシアの、ある小さな田舎町で演じられていた ドラマの話を、私は読んだ。

マネージャーは 突然、最後の芝居で 重要な役を演じる役者がいないことに 気づいた?

その役は、どもらなければならない 特別な演技が必要だった。
その男が いなくなった。

そこで、彼に代わる誰かを 捜そうとした。

すると その時、誰かが
「この時間になって、代わりの人を探すのは 難しいでしょう」と 言ってきた。

だが その村には、その役を 全く完璧に演じられる 少年が 一人いた。
彼なら、その役のための 訓練が必要なかった。
自然に どもっていたからだ。

そこで、その少年が連れてこられた---多くの医者が治療を施し、沢山の医薬が試されたが、どもりは治ってはいなかった---どもる練習は 必要なかった。

そこで彼に、どもりの役が与えられた。

その少年は ただステージに上がり、いざ どもろうとしたのだが、どもれなかった。

彼は みんなと同じように、過ちなく喋り始めた。

彼が どもろうと すればするほど、ますます不可能になった。

何が起こったのだろう?

その時 初めて、自動化した どもりの習慣が、意識的になることで 打ち破られた。

その時、彼は 注意深さに満ちて、どもることを行なった。

彼は、それを やろうとした。
意識的だった。
すると その病気は消え失せた。

それは自動化した 習慣だった。

だが、まさに意識的に そうしようとする努力そのものが、それを不可能にした。



私は ある町にいた。
そこへ 一人の教授が連れてこられた。

彼は ある大学の教授だった---学識があり、感性が鋭く 理知的な人間だった。

が、彼は 苦しんでいた---大変苦しんでいた。
女性のような歩き方が、身についてしまったからだ。

それは彼にとって問題だった---特に 大学においては。
みんなが 笑った。

彼は 精神分析を受け、治療を受け、入院したが、どんなに努力しても、何一つ 効果がなかった。

女性的に 歩かないように すればするほど、そうしないで おこうとすればするほど、女性的に歩いてしまうのだ。

彼は、どうしていいか わからなくなってしまった。
そして彼が、私のところへ 連れてこられた。

私は言った。
「その癖と 闘ってはいけない。
むしろ、意識して女性的に歩いてごらん。
あなたが道を 歩く時、女性のように歩くのです。
女性のように歩いてごらんなさい」と。

すると彼は言った。
「何を おっしゃるんですか?
私はそれで もう大変悩んでいるのですよ。
なのに、もしその歩き方で 歩いたら、もっとひどくなるばかりではありませんか?」と。

そこで 私は言った。
「あなたは 二十年間、ずっと女性のように歩かないようにしてきた。
だから今度は、反対のことをやってみるのです。
ここに 立って。
私の前で、この部屋の中を ちょっと歩いてごらん」

彼は女性のように歩くことを、とても恥ずかしく思っていた。

彼は やってみた。
だが 女性のようには歩けなかった。

そこで彼は言った。
「何が起こったんでしょう?
あなたは 何を なさったのですか?
何かなさったのでしょう?
奇跡だ! 私は女性的に歩こう としているのですが、できないのです」

そこで私は 彼に言った。
「家に帰って、今日したことを続けなさい。
大学に帰りなさい。
そして あらゆるやり方で、女性的に歩こうとしてごらんなさい」と。

その晩、彼がやってきた。
彼は 全く舞い上がっていた。

そして彼は こう言った。
「どうあなたに感謝していいかわかりません。
あなたの おっしゃったことは、不可能のように思えました。
でもそれは奇跡的でした。
そのトリックは 功を奏したのです。
私は 女性のように歩けませんでした。
私が女性のように歩こうとすると、女性のように歩けないのです。
何が起こったのでしょう!」と。



何であれ、自動化した習慣に 注意深さを持ち込めば、その習慣は 止まる。

自動化した習慣は、あなたの無意識を 餌にするからだ。

だから、意志の力で その習慣を止めようとしても駄目だ。
意識的であることによって、その習慣は 止まる!

その違いを 覚えておくことだ。

意志の力では、あなたは 習慣と 闘い始める。
もしあなたが 習慣と闘おうとするなら、その 習慣を受け入れた ということだ。

私が 意識的に それをやりなさい と言うのは、それと闘え ということではない。
出来る限り、それに力を貸す ということだ。
それに「反対」の態度を取らないように、という意味だ。

あなたが道を歩いているとする。
その時、その 歩く行為にトータルに、あなたの意志を注ぐこと。

歩く という行為と、一つでありなさい。
進行していることに 意識的でありなさい。

今、左足が 上がり、今、右足が 上がり、前へ進んでいる。
という具合だ。

瞬間ごとに、意識をもって 感じるがいい。

その瞬間に留まりなさい。
その時、あなたのマインドが どこかよそへ行かないようにすることだ。

もしマインドが、古い習慣のせいで よそへ行ってしまったら、また引き戻す。
それができないからといって、投げやりになってはならない。


もしマインドが どこへ行っても「できない。自分には できない」と 言ってはならない---ノーだ!

その時、マインドをまた引き戻し、またやってみる。

そうしていると、遅かれ早かれ、あなたは、それが どんなに稀な感覚であっても、現在 という瞬間を 味わっているという、ある瞬間を 感じ始めるだろう。

現在を感じる ということは、何ということだ!

そして、いったん 今の瞬間を感じたら、あなたは 存在の扉の、すぐそばに いる。
あなたは、存在の中に 入ることができる。

その次元における静けさは、過去に向かう動きも 未来に向かう動きも、マインドの中にない ということだ。

動きなしだ!
ただ、今の瞬間に 留まること。

あなたは、頭では そういうことを理解できる。
よし、オーケー と 思いさえするかもしれない。

が、頭での 理解は役に立たない。

むしろ、一つの欺瞞であるかもしれない。
それは 欺瞞になるかもしれない。

あなたが それを しなければならない!

考えることでは、役に立たない。


…05に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る
(講話) OSHO

(翻訳) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行) 市民出版社