saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 12

Pp431ー432

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(12)

 

 かき乱されているーーー。

それを 思い出した その瞬間、自分は かき乱されていたという、その注意力が戻って来た その瞬間、帰   っ   て  おいで。

それだけだ。

戦いを つくり出すことなんかない。

これは まずかったなどと 言うこともない。

自分は また かき乱されていたと、気を落とし、フラストレーションを起こさなくてもいい。

散乱それ自体には どこも悪いところなんかない。

それもまた 楽しみなさい。

もしあなたが 散乱を楽しむことができたら、だんだんと それは少なくなるものだ。

そして 散乱のなくなる日がやって来るだろう。

しかし、これは 勝利じゃない。

あなたは、自分の 心(マインド)の乱れがちな傾向を 無意識深く押し込んだんじゃない。

違う。

あなたは それもまた許した。

それも いいのだ。

 

 この、あらゆるものが良くて神聖だ というのが タントラの心だ。

たとえもし 散乱というものがあるにしろ、なにかしら それは必要なのだ。

あなたには どうしてか わからないかもしれないが、なにかしら それは必要なのだ。

もし 内に起こることのすべてを よしとすることができたら、それで はじめて あなたは王道に従っている と言える。

もし、なんでもいい、とにかく何かと 戦いを始めるとしたら、もう あなたは王道から堕ちて、ただの兵隊、戦士になってしまっているのだ。

 

『二元性を超ゆるは王の見地

   散乱を征服するは王者の行(ぎょう)

   行(ぎょう)なき道こそすべてのブッダたちの道なり』

 

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」

(12)おわり (13)ヘ つづく・・・

 

 

 

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 11

Pp428ー431

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(11)

 

『 二元性を超ゆるは王の見地

   散乱を征服するは王者の行(ぎょう)』

 

散乱というものは、あなたが くり返しくり返し意識を 失うからこそ ある。

瞑想する。

腰をおろして瞑想するーーー。

ある想念が やって来る。

たちまち あなたは 自分自身を忘れ、その想念に くっついて行ってしまう。

あなたは それに巻き込まれてしまっているのだ。

 

 タントラは、征服されなくてはいけないものは ただひとつだ と言う。

それが 散乱だ。

どうする ? 

ただ ひとつーーー想念がやって来ても 観照者のままでいるのだ。

それを 見、観察し、それが あなたという実存を 通り過ぎるのを許す。

ただし、敵でも味方でも、どんな形であれ それにへばりついてしまわないこと。

 

 それは 悪い考えであるかもしれない。

誰かを 殺すという考えだ。

それを 押しやらないこと。

これは悪い考えだ などと言わないこと。

それについて 何かを言った瞬間に、あなたはもう その考えに へばりついてしまっているのだ。

あなたは 撹乱される。

さあ、その考えは あなたを いろいろなものへと連れて行く。

ひとつの考えから、また別な考えヘーーー。

 

 いい考えが来る。

慈悲深い 考えだ。

こんなことを言わないこと。「ああ、 なんて麗しい。 私は偉大な聖者様だ。 全世界に救いを与えたい。 すべての人を開放したいなんて、こんなきれいな考えが浮かんで来るとはねえ」。

そんなこと 言いっこなし。

良かろうが悪かろうが、あなたは 観照者のままでいるのだ。

それでも はじめのうちは 何回もかき乱されるだろう。

さあ、どうしたらいい ? 

 

 もし かき乱されたらーーーかき乱されるがいい。

あまりそれを 気にしすぎないこと。

さもなければ、その心配そのものが 強迫観念になってしまう。

かき乱されなさい。

数分間、あなたは かき乱され、そして不意に、思い出すだろう。

そうしたら OK。

戻ってくるのだ。

がっかりすることはない。

かき乱されていたのは良くないことだった、なんて 言わなくてもいい。

そんなことをしたら またあなたは 二元対立を つくり出してしまう。

善と悪ーーーかき乱される。

それは いい。

受け容れて、戻っておいで。

 

 散乱というものに対してでさえ 戦いを作り出すことはない。

クリシュナムルティが 語り続けているのはこのことだ。

彼は それに とても逆説的な概念を使う。

彼は言う。

「あなたが もし注意散漫ならば、 よ   く   注   意   し   て  散漫でありなさい」と。

それは いいのだ。

はっ と、自分が注意散漫であったのに 気づいたら、注意を起こし、そして〈わが家〉に戻る。

 

 クリシュナムルティは 決して理解されてきてはいない。

そのわけは、彼が 王道に就いているからだ。

もし彼が ヨーギであったなら、彼はごく簡単に 理解されていたことだろう。

彼が 口をすっぱくして、メソッドなどというものはない と言っているのは王道だからだ。

王道には メソッドなんかない。

彼は テクニックなどない の一点ばりだ。

王道には そんなものはない。

彼は 経典など役に立たないと 説いてやまない。

王道には 経典などというものもない。

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ ! 」

(11)おわり (12)ヘ つづく・・・

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 10

Pp427ー428

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(10)

 

 

 これは馬鹿げていて 理屈に合わないように見える。

我々は、〈完全〉というものは 成長なんかできない と 思っているからだ。

なぜなら、我々が〈完全〉と 言うときには、成長の最後のところまで来たものを言うのだからーーー。

だが、 そんな〈完全〉は 死んだものだ。

もし それが成長できなかったら、そんな〈完全〉は 死んでいるのだ。

 

 神は成長し続ける。

神の完全さは、彼が もう成長しないというような完全さじゃない。

彼は 何ひとつ欠けていないがゆえに完全だ。

が、彼は ひとつの完成から さらなる完成へと進んでゆく。

成長は 持続する。

神は  進   化 だ。

不完全から完全へ ではなく、完全から より完全へ、さらに もっと完全への進化だ。

 

 完成が 未来を持たなくなってしまったとき、それは死んでいる。

いまだ ひとつの運動であるとしたら、いまだひとつの開幕であり、ひとつの成長であり、いまだひとつの運動であるとしたら、そのときそれは 不完全のようにも見える。

 

 で、私は あなた方に 言いたい。

不完全でいて、成長し続けなさい。なぜなら、それが 生というものだからだ。

完全であろうと なんかしないこと。

さもなければ あなたは成長を止めてしまうだろう。

石ころだ。

いくら仏像でも それは死んでいる。

 

 それが成長し続けるという この現象のせいで、あなたは 完全を不完全と感じる。

それは そのままにしておきなさい。

あるがままの それを許しなさい。

これが 王者の道だ。

 

『 二元性を超ゆるは王の見地

   散乱を征服するは王者の行(ぎょう)』

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」

(10)おわり (11)ヘ つづく・・・

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 09

Pp423ー427

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(09)

 

 

 ボーディダルマが 中国に行った。

世に生まれた最も希少な宝玉のひとりだ。

王様が 彼に会いにやってきて、そして 言った。

「ときどき私は とてもひどく 悩みます。 ときとして私の中には 大変な緊張と 苦悶があるのです」。

ボーディダルマは 王様をにらむと、「明日の朝 早く四時においでなさい。 そして あなたの苦悶と不安と 心配事を全部 連れて来るのです。 忘れてはいけません、ひとりで来るんじゃない。 そういうものを 全部引き連れて来るのです」と 答えたものだ。

王様は このボーディダルマを しげしげと見た。

彼は とても不気味な容貌の男だった。

彼は どんな人でも 死ぬほど怖がらせることができた。

 

 で、 王様は言った。

「何を おっしゃる ?  どういう意味ですか ?」。

ボーディダルマは 言った。

「もし あなたが そういうものを引き連れて来なかったら、どうして私に あなたを叩き直すことができます ?

全部持っていらっしゃい。 すべて叩き直して進ぜよう」

 

 王様は 行かない方がよかろうと思った。

朝の四時はまだ暗い。

それにこの男は 少し狂っているように見える。

手に 大きな棒を持って、彼は なぐることだってできる。

それに、 すべてを 叩   き   直   す というのは どういうことだろう ? 

王様は 一晩中眠れなかった。

ボーディダルマが つきまとって離れなかったからだ。

 

 朝になると、彼は 行った方がいいような気がした。

それでも何かは ありそうな予感がしたからだ。

そこで 彼は出かけて行った。

いやいやながら、 ためらいがちにーーー。

しかし、とにかく彼は たどり着いた。

するとボーディダルマは 間髪を入れずに尋ねた。

彼は寺院の前に 棒を持って坐っていて、暗がりの中、いよいよもって物騒に見える。

 

開口 一番、 彼は言った。

「ふむ、 おいでになったわけだ。 ほかの奴らはどこですか ?   あなたの話しておられた あれは ?」

王様が

「あなたは 謎めいたことをおっしゃる。 あれは 持って来られるような〈もの〉じゃありません。 ああいうものは 内側にあるのです」と 言うと、ボーディダルマ 曰く。

「いいでしょう。 内側でも外側でも も   の   は   も   の です。

坐って目を閉じ、そういうものを見つけようとしてごらんなさい。 それを ひっつかまえたら即座に私に 教えるのです。 この棒をごらんなさい。 私が そやつらを叩き直して進ぜましょう」。

 

 王様は 目を閉じた。

ほかには どうしようもなかった。

彼は ちょっとこわごわ 目を閉じた。

内側をあちこち見まわし、目を凝らしてみると、突然ーーー見れば見るほど そこには 何もないのに 気づいた。

なんの 不安もない。

なんの 苦悶もない。

なんの 心配もない。

彼は 深い瞑想に落ちていった。

何時間という時が過ぎた。

日が 昇りーーーそして 彼の顔には 計り知れない静寂があった。

 

 やがてボーディダルマが 口を開く。

「さあ、目を開けてごらんなさい。

もう そんなところで充分でしょう。

奴らは どこですか ?

ひっとらえることが できましたかな ?」

王様は 笑ってひれ伏すと、ボーディダルマの足を 押しいただいて言った。

「実に、あなたは 奴らを叩き直してくださった。

私は それを見つけることが できなかったのですから。

もう私は 何が問題であるか わかりました。

そんなものは 最初から ありはしなかった。

そういうものが あったのは、私が 内側に現存していなかったからです。

もう わかりました。

あなたは 奇跡を行った」。

 

 事の次第はこんなものだった。

これが 超越だ。

問題を 解決するのではなく、第一に 本当に問題があるのかどうかを 見ること。

あなたが 最初に問題を作り出しておいて、そうして解決を求めはじめる。

最初に 質問を作っておいて、それから世界中 歩き回って答えを求める。

これは 私の経験でもあるのだが、もしも質問を見つめたなら、その質問は消え失せていくものだ。

どんな解答の必要もありはしない。

もしあなたが質問を見つめたなら、その質問は 消え失せる。

そして、これが  超   越  だ。

それは 解決じゃない。

解決すべき問題なんて ありはしないのだからーーー。

あなたは 病気など持ってはいない。

 

 ちょっと内側を 見つめてごらん ! 

病気など あるまい。

そうしたら なんの解決がいる ? 

あらゆる人間は そのあるべき姿なのだ。

あらゆる人間は 生まれながらの 王者だ。

何ひとつ欠けてはいない。

あなたに  改   善   の 必要なんかない。

 

 あなたを 改善しようとする人たちは、あなたを破滅させる人だ。

彼らこそ 本当の災い人だ。

それも、ネズミを狙う猫のように 待ち構えているのが ごまんといるのだからたまらない。

近づいていくと 彼らは飛びかかって、待ってましたとばかりに あなたを改善しだす。

世の中には、あなたを改善しようとしている 人たちがあまりにも多すぎる。

自分を改善することなんて 誰にも許すことはない。

 

 あなたは すでに  最   終   句  なのだ。

あなたは アルファであるばかりではなく、同時に オメガでもある。

あなたは 完全だ、完璧だ。

たとえ もしあなたが 不完全さを感じるとしても、タントラは その不完全さこそ 完全なのだ と言う。

それを 思い悩む必要はない。

あなた方の 不完全さもまた完全だ というのは、とても奇妙に聞こえるだろう。

しかし、そこには 何ひとつとして欠けてはいない。

実際のところ、あなたが 不完全に見えるのは 不完全だからではなく、成   長   し   つ   つ   あ   る   完   全  だ からだ。

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」

(09)おわり・・・(10)ヘ つづく

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 08

Pp421ー423

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(08)

 

 ある日、彼は 私のところに。駆け込んでくると 言った。

「なんというナンセンスを 私は やってきたのでしょう。 突然、 私は 超越しました。 その愚かしさが 丸ごとはっきりしました。 もうこんなこと 問題じゃありません」

 

 彼は 勝利をおさめたわけじゃない。

だって、実際のところ 勝つべき〈敵〉などいはしないのだからーーー。

あなたには〈敵〉なんかいない。

これが タントラの言い分だ。

全生命は 深くあなたを 愛している。

破壊されるべき者など 誰もいない。

勝利する者など 誰もいない。

誰ひとり あなたの敵、かたきになるべき者も いない。

全生命が あなたを 愛す。

あらゆるところから 愛が あふれている。

まして、あなたの中にも 敵などいやしない。

 

 そんなものは 坊主どもが つくり出したのだ。

戦場をつくり出したのは 彼らだ。

彼らが あなたを 戦場にしてしまったのだ。

 

彼らは言う。

「これと 戦え、これは 悪い。 あれと 戦え、あれは悪だ」。

彼らの つくり出した あまりにも多くの敵に 取り囲まれて、あなたは 生の美しさ全体との接触を 失ってしまった。

 

 私は 言おう。

怒りは あなたの敵じゃない、強欲は あなたの敵じゃない。

同じように 慈悲は あなたの友でなく、非暴力などというものも あなたの友じゃない。

なぜなら、友であれ かたきであれ、あなたは 二元対立に はまったままだからだ。

ちょっと あなたの実存全体を 眺めてごらん。

それは〈ひとつ〉であるのに 気づくだろう。

かたきが 友と なり、友が かたきと なったとき、すべての二元対立は 消え去る。

突然、 そこに超越が ある。

突然、目覚めが ある。

 

 念を押そう。 それは 突然だ。

というのも、戦う としたら、あなたは 一寸 また一寸と 戦わなくてはいけない。

だがこれは 全く 戦いなんかじゃない。

これは 王者の道だ、王道だ。

 

 ティロパは 言う “ 二元性を超ゆるは王の見地 ”ーーー二元性を超える。

ちょっと見つめてごらん ! 

二元対立など ありはしないだろう ! 

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」08

おわり (09)ヘ つづく・・・

 

「存在の詩」OSHO (OEJ books) 07

Pp417ー421

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(07)

 

 

 さあ経文を 見てみることにしよう。

 

『 二元性を超ゆるは王の見地 』

 

 超  え  る  のだ、 勝  つ んじゃない。

 超  え  る ーーー。

この言葉は 実にビューティフルだ。

超  え  る とは どういう意味だろうか ? 

 

それはちょうど、小さな子供が おもちゃで遊んでいるのに 似ている。

その子に それを放せなどと言おうものなら、その子は ご機嫌を損ねてしまう。

眠るときでさえ 彼はそのおもちゃと一緒だ。

すると、お母さんは 彼が眠り込んでしまった後で、そっとそれを片づけなくてはならない。

朝、彼が要求する 第一のことは、「おもちゃは どこへ行ったの ?  誰がおもちゃを取ったの ?」だ。

夢の中でまで 彼は そのおもちゃの夢を見る。

 

 ところが、突然ある日、彼は そのおもちゃを 忘れ去ってしまう。

何日間か、それは部屋の隅に 放りっぱなしになっていて、あげくのはてに、今度は しまわれるか 捨てられるかする。

二度と ふたたび 彼はそのことを聞いたりしない。

 

 何が 起こったのだろう ? 

彼は  超  え  た のだ。

彼は 成熟したのだ。

それは 戦いでもないし 勝利でもない。

彼は おもちゃを持つ という欲望と 戦っていたわけじゃない。

違う。

突然 ある日ーーー。

彼は それが子供じみていて、自分は もう子供じゃない ということが わかったのだ。

 

 突然 ある日ーーーおもちゃは おもちゃであって、本当の人生じゃない ということに気づいたのだ。

そして彼は、実人生への用意ができている。

彼はおもちゃに 背を向けた。

二度と ふたたび夢に それが現われることもない。

二度と ふたたびそのことを 考えることもない。

そして もし、誰かほかの子供が おもちゃで遊んでいるのを見たら、彼は 笑うだろう。

彼は 笑う。

それも 得意顔でーーー。

知っている笑い、賢い笑いだ。

彼は 言うだろう。

「あの子は 子供なんだ。 まだ子供っぽいから おもちゃで遊ぶんだ」

 

 彼は 超えた。

超越というのは ごく自然発生的な現象だ。

それは培われるようなものじゃない。

あなたは ただ もっと成熟するだけのことだ。

あるものの 馬鹿らしさ全体を 見抜き、そして 超   越 する。

 

 ある 若い男が 私のところに やって来た。

しかも 彼は とても悩んでいた。

彼には 美人の奥さんがいたのだが、ただ鼻が少し長い。

それで 彼は悩んでいた。

そして「どうしましょう、プラスチック整形までしてもらいました。 鼻は少し醜くなっただけです」と 言う。

だって、どこも 悪くなんかなかったのだからーーー。

何か どこも悪くないものを 改良しようとすれば、それはもっと見苦しくなるしかあるまい。

もっと ひどくするだけだ。

 

 さあ彼は 前より一層 困ってしまい、私に どうしたらいいか と聞く。

私は彼に いまの おもちゃの話をし、いつか超越しなくてはなるまい、 と 言った。

「これはまるで子供じみている。 どうして鼻のことなんかで そんなにも頭を一杯に指定いるのか ?  鼻はただ ほんの一部分じゃないか。 それに 君の奥さんは本当にきれいで、実に 素晴らしい人だ。 それを、なぜ君は 鼻のことで 彼女をそんなに悲しがらせるのか ?」とね。

 

 というのも、彼女までいっしょに ひどく鼻に こだわるようになってしまったからだ。

人生の問題の すべてであるかのごとき様相を呈してきた。

問題なんて 全部こんなものなのだ。

自分の問題は 何か もっと大層なものだ などと思わないこと。

問題なんて 全部こんなものなのだ。

問題というものは すべて子供っぽさから出てきている。

幼稚ーーーそれらは 未熟さから 生じるものだ。

 

 その男は 本当にひどく鼻にこだわっていて、奥さんの 顔も見ようとしないほどだった。

その鼻を 見るたびに苦しくなるからだ。

だが、ものごとから そんなに簡単に逃げることはできない。

たとえ 鼻のせいで 顔を見ないにしても、それは まだその鼻を 気にしている ということだ。

たとえ もし問題を避けようとしたところで、その問題は頑として そこにある。

あなたは 取り憑かれているのだ。

 

 そこで私は、 彼に 奥さんの鼻に瞑想するように 言った。

 

「何ですって ?  見ることもできないくらいなんですよ」 と 彼。

私は それが役に立つだろうと 話した。

「まあ やってごらん。 昔、人々は 自分の鼻の頭に 瞑想したものだ。 それなら自分の奥さんの鼻の頭に 瞑想して どこが悪い ?

ビューティフルじゃないか。 やってごらん」。

彼は

「それで どうなるんですか ?」と 言う。

「まあ やってごらん」。

私は 彼に言って聞かせた。

「そして 何か月かしたら 結果を知らせにおいで。 毎日 彼女を あなたの前に 置いて、その鼻に 瞑想するんだよ」

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(07)

おわり (08)ヘ つづく・・・

「存在の詩」OSHO (OEJ Books) 06

Pp416ー417

第七話「あのね それ両方もらうよ !」(06)

 

 なぜなら、あなたが現実(リアリティ)を 見られるのは、あなたが 現実(リアリティ)に なったときだけだからだ。

あなたは 幽霊じみた現象だ。

一種の かげろうだ。

どうして そのあなたに 現実を見ることなんかできる ? 

影には 影しか見えない。

心(マインド)が はがれ落ちてはじめて、あなたは現実が見られる。

心(マインド)を通ったら、何もかも非現実的に なってしまう。

心が 投影し、創造し、色づけし、注釈を つける。

何もかも 嘘になってしまう。

 

 それだからこそ、どうやって 無心(ノーマインド)になるか ということが 力説されるのだ。

絶えず 力説されて止まないのだ。

タントラは 言う、「闘うな」と。

もし 闘ったりしたら、あなたは その闘いを 幾生にも渡って続けかねないし、そこからは 何も出てはこないだろう。

だって、まず第一にあなたは 間違ってしまっているのだからーーー。

あなたが〈ふたつ〉と 見たものは、実は〈ひとつ〉にすぎなかったのだ。

 

 そして 第一歩が 踏みたがえられたなら、あなたは目的地に たどり着くことなどできない。

あなたの旅は そっくり「絶えざる脱線」になってしまうだろう。

はじめの一歩は 絶対的に正しく踏まれなくてはならない。

さもなければ決して ゴールには 着くまい。

 

 それならば、絶対的に正しいこと というのは 何だろうか ? 

タントラは、それは〈二〉の中に〈一〉を見ることだ と言う。

〈多〉の中に〈一〉を見ることだ、 と。

一度 あなたが 二元対立の中に〈一〉を 見られたなら、すでに 超越は 始まっている。

これが 王道だ。

 

 

第七話「あのね それ両方もらうよ !」

(06)おわり (07)ヘ つづく