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(講話)「自己礼拝」Worship of the Self : by OSHO, 14

 ある日、一人の探求者が「どうやって真理を見い出せばいいのか」と聞くために、ムラ・ナスルディンの所にやって来た。


ナスルディンは言った。
「あなたを弟子として受け入れる前に、満たすべき条件が山ほどある。
私と 一緒に来なさい。
井戸の水を汲みにいくところだ」と。

彼らが、井戸へ行く途中、ムラは未来の弟子に こう言った。
「まだ あなたを弟子として受け入れたわけじゃないんだから、質問をしないように。
何も 聞いてはならない。
ただ 私を 見ているがいい。
私が あなたを弟子として受け入れたら、質問をしてもよろしい。
私が 家に帰るまでに 何か質問をすれば、あなたは 弟子としては失格ということだ」と。

そこで未来の弟子は
「ちょっと井戸に行って 水を汲み、先生の家に帰るまでの間だ。
難しいことじゃない」と思い、彼は沈黙を守り
「完全に黙っていられる」と 思った。

が、ムラが余りに馬鹿げたことをしていたので、彼は沈黙を守っていられないほどだった。


ムラは、二つのバケツを持っていた---
一つは 井戸から水を汲むためのもの、もう一つの方、大きい方は 水を入れるものだ。

だが大きい方のバケツには、底が なかった。


だから 井戸から汲み上げた水を、大きい方のバケツにいれても、その水は 底から流れ出した。

すると また、ムラは 井戸にバケツを落とすのだった。


そこで 未来の弟子は 言った。
「何をしているのですか?」


するとムラは「もう お前さんは弟子として失格だ」
「だから今さら質問などしないように。
放っといてくれ!
わしが何をしようと、お前さんの知ったことではない。
わしに 質問するなどというお前さんは何様だ?」と 言った。

すると未来の弟子は
「じゃあ、私は帰ります!
帰れと言う必要はありません。
あなたと 一緒にいる必要など、私にはないのですから。私は 帰ります。
でも、あなたに 一つ忠告があります。
あなたは 一生、そうやって井戸から水を汲み続けていられます。
でも、バケツの水は 決して一杯にならないですよ」と言った。


するとムラは 言った。
「わしが気にしているのは 表面だ。
底のことなど知らん。
わしは 表面を見ている。
表面がよければそれでいい。
わしはそれで家に帰る。
底のことを考えることなど、わしには無意味だ」と。


未来の弟子は ムラの元を去った。
だが その夜、彼は 眠れなかった「何という男だろう?」

彼は 不思議だった。

彼は、ムラの言ったことを 考え始めた。
「ムラの言ったことに何か秘密が 隠されているのだろうか?」と。

そして彼は ムラが言ったこと、その謎を解く手がかりを 考え始めた。

そして眠りが訪れはじめた時、彼は こう思った
「彼は私を テストし、計っていただけなのかもしれない。
沈黙を守っていられないような状況の中で、私が沈黙を保っていられるかどうかを見ていただけなんだ」と。

そこで 朝、ムラ・ナスルディンの所に 急ぎ戻り、こう言った。
「私を許して下さい。申し訳ありません。
昨日のことは、まったく私の間違いでした。
私の 失敗でした。
私は沈黙を守っているべきでした。
でも、ああいう状況で沈黙を守ることの 隠された意味は、どこにあったのですか?」


すると ムラは言った。
「お前さんを 弟子として受け入れるつもりはないから、その秘密を言ってもよかろう。
その秘密は こうだ--- バケツは、人間のマインドの最初のステージだ。
お前さんは それを どんどん一杯にできる。
だが、決して 一杯にはならない。
そして 誰もが 底には関心がない。
みんな 表面に関心がある。
お前さんは、その最初のステージのマインドを 地位や 名誉や、富や あらゆるもので満たす。
というように、お前さんは、表面にしか関心がない。
そしてある日、お前さんのエゴが満たされる。
が、誰ひとり 底には 関心がない--- そのバケツに 底が あるのかないのか、まったく関心がない」と。


すると男は 泣きはじめて、こう言った。
「どうか、私を弟子として受け入れて下さい!
あなたこそ 私にふさわしい師です」


ムラ・ナスルディンは 言った。
「 遅すぎる---
このバケツは 本当に役立ってくれている。
誰かが わしの弟子になりたいとやって来ると、いつも このバケツが そいつを弟子失格にしてくれるんだ。
このバケツは 多くの者を 弟子失格にし、わしの手間を 大分省いてくれた。
だが、自分のマインドは 底なしのバケツだ と感じるに至った者は失格にならない!
そう感じた者だけが 弟子になる資格を与えられる。
弟子であることは全て、〈私は在る〉から〈私はいない〉へ 至るための方便だ」



底から 奈落に、マインドの 二番目の層にまで落ちていく--- 弟子であることは全て、このためにある。

すると、そこに 無がある。

その 無の向こうには「アワム・ブラフマースミ--- 我は “それ” なり」という感覚がある。


( 講話「自己礼拝」おわり--- )


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社