saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章「質疑応答」02

第四章「第一の質問」02

 

 ( 瞑想とは 偽りの顔を落とす道だ )

だからこそ、無思考になることに 重点がおかれるのだ。

思考が なければ、偽りの顔は 創り出せない。

意識が 無思考であれば、あなたは 真実になる。

偽りの顔や 仮面を創り出すのは、根本的には 思考だ。

思考が なければ 顔もない。

 

そうして あなたは顔なしになる、あるいは 真の顔を持つ……どちらも同じことだ。

 

  だから 思考の作用(プロセス)に 覚醒するのだ。

戦ったり、抑圧したりせず、ただ 覚醒を保つ。

思考は ちょうど空の雲のように そこにある。

好悪 いずれの偏見もなしに それを見つめる。

敵対することは、戦うことだ。

その戦い そのものによって、新たな思考のプロセスが 生まれる。

逆に 味方をしたら、やはり あなたは自分自身を忘れ、思考のプロセスの流れに 漂ってしまう。

そして 意識的な観照者でなくなる。

味方したら そのプロセスの中に入ってしまうし、敵対したら その反動として 別のプロセスを 創り出してしまう。

 

  だから、 味方も敵対も しないで、思考の赴くに まかせる。

深い「ゆだね」の中で、思考が どこへなりと ゆくにまかせる。

そして、ただ 見つめる。

なにが往来しようと、見つめる。

判断しない ーー 良いとか悪いとか 言わない。

神の思考が 現れても「美しい !」とか 言わない。

そのように 言ったとたん、それと同化してしまう。

その思考プロセスに 協力してしまう ーー それを助け、 エネルギーを与え、養ってしまう。

養われているかぎり、思考が 去ることはない。

 

  また性的な思考が 現れても、「けしからん、これは罪だ」とは 言わない。

「これは罪だ」と 言うことは、新たに 一連の思考を 創り出すことだ。

セックスは ひとつの思考だし、罪も思考だし、神も 思考だ。

味方も敵対も せずに、ひたすら偏見のない目で 見つめる。

 

  これには 時間がかかるだろう。

あなたのマインドは 観念に満ちている。

だから とても難しい。

なにかを 見たとたん、もうそれについて判断を 下している。

待つことをしない。

ほんの 一瞬の猶予すらない。

一輪の 花を見れば、もう「これは美しい」と 言っている。

「見ること」そのものの中に 解釈が入り込む。

 

  だから大事なのは、よく注意して、この機械的な判断癖を 落とすようにすることだ。

 

 

 (02)おわり…03へ つづく

 

 

 

タントラ秘法の書   第四巻

「沈黙の音」

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

 


講話   OSHO

翻訳   スワミ・アドヴァイト・パルヴァ

            (田中ぱるば)

発行者   マ・ギャン・パトラ

発行   株式会社 市民出版社