saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 2」by OSHO,


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二番目の質問 (05)

 

現代では、裕福であることが不道徳なことになった。

豊かな生活を している者は、罪悪感を感じる。

金持ちの人間が存在する中で 貧乏な人間がいることは、その金持ちの罪だ というようになった。

 

豊かであることが 罪悪感を生み出し、初めて 我々は道徳的になった。

周りに貧困が 存在することは、豊かな者によって犯された罪だ と 考えられるほどにだ。

一つには、余りに意識し過ぎること。

余りに 自覚し過ぎること。

余りに 道徳的になること。

と 同時に、貧しい者が さらに貧しくなった ということ。

経済的には 彼らはそうではない。

が 今や、彼らは自分の貧しさが 心の重荷になっている。

我々がすることは 何であれ、二つの方向に進んでいく。

同時に 二つの方向へと進展していく。

それで、常にバランスを取る。

宗教は、豊かな世界のための ものではない。

豊かな社会とは、 深い貧困、大変な貧困が あって 初めて存在し得る からだ。

 

あらゆる次元において、あなたは 周囲の環境を変えることができる。

あなたは 自分の名前を 変えられる。

が、そうしても、また 同じことが 新しい形で 現れる。

 

宗教は、バランスの取れた世界の ためのものだ −−− 

豊かな世界のためでも なければ、貧しさにあえぐ世界のためでもない。

豊かでもなければ 貧しくもない。

が、貧しさや 豊かさを 誰も意識しない バランスの取れた世界、 そういう世界のことを 理解しようとしてごらん。

 

そのため、宗教的な世界とは、とても深い現象なのだ。

そうした世界が 誕生するのは、あり得ない変革のように思える。

相反するものが そこにあり、常に 存在し続けている。

あなたに できることは、それらを越えて行くことだけだ。

 

たとえば、別の方向から見てみよう。

人間は、ずっと死と 戦ってきた。

科学の 全歴史は、死との戦いそのものだ。医学の歴史、人間のマインドの歴史は 死との戦いの歴史だ。

現代、人間の寿命は 長くなっている。

人間は今、過去の歴史のなかで 最も長い寿命を誇っている。

が、人間社会で、今の人間社会ほど、死を 恐れている社会はなかった。

 

現代の西洋の人々は、地球で 最も長い寿命を手に入れた。

「古き時代、黄金の日々には、人間は百才まで生きた」と 我々は 言い続け、そう聞いてきた。

それは 事実ではない。

ただの フィクションだ −−− 

が、その後ろには、真実が 隠されている。

 

みんなが「自分は 百年生きた」と 思っていた。

というのも、誰も 自分の年を 勘定しなかったからだ。

年を勘定するのは 新しいことだ。

自分の 生まれた日を覚えているのは 新しいことだ。

が、覚えておきなさい。

自分の生まれた日を 思い出すことは、自分の 死ぬ日が 常に目前にある ということだ。

死を 恐れる動物は いない。

動物は 誕生を意識しないからだ。

 

原始社会では、死への恐怖はなかった。

が、彼らは また、誕生も意識していなかった。

この世に 生まれた途端、死が 始まる。

だから 昔は、何年生きたかを 勘定することはなかった。

自分が 何年生きてきたかが 正確になればなるほど、ますます 死を恐れるようになる。

 

現代、アメリカは 死に捕らわれている。

時間意識が 一つのピークに至ったからだ。

みんなが 気づいている。

長く生きることが 可能になり、死が さらに暗たんとしたものになった ということに。

なぜか ? 

それは 深いバランスだ。

生を 伸ばし続ければ、死をも また、伸ばしている。

長く生きれば、死をもまた、ずっと 広がったものになる。

 

生と死は、両方絶えず 同時に成長している。

あなたは 逃れられない。

生と死の どちらかを 選択することはできない。

 

 

(05)終わり(06)へ 続く