saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 「 浄土楽園 」 (05)

(… 何かが 与えられたり、伝えられたりするのではない

ただマスターの臨在そのものが 触媒の働きをして、弟子が 変わりはじめるのだ )

 

もちろん、弟子は 何かがマスターによって為された と 思う

何ひとつ 為されては いない

真のマスターは けっして 何もしない

彼のすることは、ただ あなた方の前にいること だけだ

ただあなた方に対して ひらいていること だけだ

彼の仕事は すべて ただひとつのことで 成り立っている

彼が そこに いる ということだ

ちょうど 太陽のようにーーー

 

朝、 太陽が昇る

そして芽が開き、そして 花になる

太陽は それらに 何かを与えるのではない

太陽は やって来て その芽を開くのではない

太陽は 何もしない

ただ光が そこにあるというだけで 芽は開きはじめる

その「開くこと」は 芽自体から来ている

開花、 そして その香り ーーー

それはすべて その芽自身から 来ている

太陽が それに何かを 付け加えたのではない、その現前(プレゼンス)が 触媒の働きをしたのだ

太陽が そこになかったら、芽が開くのは 不可能に近かっただろう

それは 開くことが可能であることを 知らなかっただろう

それは けっして自分の可能性や 潜在性に 目覚めることはなかっただろう

 

マスターは ただあなたに、自分の 潜在的可能性を 気づかせる

もし彼が達成したのなら、あなたも 達成できる

彼は ちょうど あなたのようだ

血、骨、肉体 ーーー

彼は ちょうど あなたのようだ

彼の 存在のなかで 何かが可能なら

彼の「芽」が 花になりうるとしたら

それなら、 なぜ あなたが そうなれない ? 

 

まさに そういう考えが ハートに深く沈潜し、あなたの存在全体を ゆり動かす

そして エネルギーが 表に出はじめ、あなたの「芽」が 開きはじめる

 

これは 東洋では サットサンガと 呼ばれる

マスターの 臨在の許にいることだ

そして真の弟子とは、マスターの前に在る 在り方を知るに至った者だ

マスターは 現 に 前 に いる

だが自分は どうやって マスターに対して 現前すればいいか ? 

 

あなたは ひまわりを 見たことが あるだろうか ? 

 

あれは 弟子の 象徴だ

太陽が動くところなら どこへでも、ひまわりは その方へ 動く

それは いつも太陽と共にいる

朝、それは東に 顔を向け、夕方、それは西に 顔を向けている

それは 太陽と共に動いたのだ

ひまわりは、太陽が いるところへなら どこへでも動く

ひまわりは 弟子の象徴、弟子の 隠喩(メタファー)だ

 

 

(05)終わり・・・(06)へ 続く