saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第三章 「 ダンマの車輪 」 (05)

(…それが、仏陀が「スブーティよ、よく聴きなさい」と言うときの意味だ
おまえの肉体を ここへ持ってきなさい ! )

おまえの肉体を はたらかせるのだ
肉体のなかへ 入りなさい
肉体のなかに 根を おろしなさい
なぜなら肉体は「乗物」だからだ
肉体は道具、媒体だからだ


「そして注意深く」と仏陀は言う
スブーティには 注意深さが 欠けているのだろうか ?

そういうことは ありえない
さもなければ 彼はボーディの存在では なかっただろう
ボーディの存在とは、注意深さを達成した者だ
醒めている者、油断なく敏感な者、意識的な者、もう機械人間ではない者だ

ではなぜ仏陀は「注意深くあれ、注意深く聴け」と 言うのか ?

再び、別の意味が 理解されなければならない


スブーティのような人は 内側に向かいがちだ
もし 努力しなければ、彼は自分の存在のなかへ沈んでいって、そのなかに 失われる
彼は 努力して はじめて外側にいることができる

あなたの場合は ちょうどその反対だ
大きな努力をして はじめて、あなたはまれに 内なる存在のなかへ入ることができる
ほんの 一瞬、思考が停止して、あなたは 内なる輝きのなかに失われる

だがそれは めったに起こらない
長い、骨の折れる努力を したあとで
瞑想や ヨーガや あれこれしたあとで
あなたは 数瞬間だけ その美しさ、その祝福を 味わう


大空が 開き
雲は 消え、光が 輝く
生命が あり、全き 歓喜があるーーー

しかし、ほんの まれな 瞬間だけだ・・・

何度も 何度も それは 失われる
注意深くなるよう 大いに努力して はじめて、あなたは その内なる体験に達する


スブーティの場合は、ちょうど その反対だ
彼は 自分自身のなかに没入し、内なる歓喜に ひたりきっている

彼は努力しないかぎり 仏陀の言っていることに耳を傾けることはできない
彼は 完全に仏陀の沈黙を 聴くことができる

もし仏陀が 沈黙していれば、そこには 感応交流(コミュニオン)がある

だが、仏陀が何かを言おうとしたら、そのときには 彼は 努力しなければならない
彼は 自分を 取り戻さなければならない
彼は 出てこなければならない
彼は 肉体のなかへ 入って行かなければならない
彼は 非常に 注意深くならなければならない

彼は 内なるワインに 酔っている


それゆえに仏陀は この不思議な言葉を言う
「よく、注意深く聴きなさい」



(05)終わり・・・(06)へ 続く