saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「死のアート」OSHO 第一章 生のあり方 (03)

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あなたの中にある 何ものかが生死を超えている。
それすなわち 汝なり・・・ 超えたるもの。

だが、私たちは 形に同化しすぎている。
それが 自我を生む。
それが『私』と 呼んでいるものだ。
もちろん『私』は 何度も死ななくてはならない。
だから自我は 常に恐れ、わななき、震える。
常に心配し、守ろう、安全を確保しようとする。



スーフィーの神秘家が 大金持ちの家の戸を叩いた。
彼は乞食で、ただ 食べ物がほしいだけだった。
金持ちの男は 乞食に向かってこう言った、「全然 知らない顔だな !」
神秘家は言った、「ですが、私は自分を知っています。もしその反対だったら どんなに悲しいでしょう。
皆が 私を知っているのに、私が自分を何者か知らないとしたら。
そう、あなたの言う通り、ここでは誰も私を知りません。
でも私は 自分を 知っています」


二つのうちの どちらかしかないのだが、あなたは 悲しい状況の方にいる。
皆が あなたを、あなたが誰なのかを 知っているかもしれない。
だが あなた自身は、自分の超越性、本性、実在を 完全に忘れている。

これこそ、生において 唯一悲しいことだ。
いくらでも 言い逃れはできる。
だが本当に 悲しいのは、あなたが 自分を知らない ということだ。

自分が誰なのか、どこから来たのか、どこへ行くのか、それを知らずして 幸せになれるはずがあろうか。

この、自分を知らない という 根源的な無知のため、千と一つの問題が持ちあがる。


(04)へ 続く