saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (17)


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(…そうなって あなたは はじめて、思考が ただの物である と 気づく )

 

それらに気づけば、自分の想いを 置きたいところに

どこへでも 置けるようになる。

もし想いを 捨てたければ、捨て去ることが できる。

 

だが 今のあなたには、自分の思考を 捨てされない。

たった今、どんな思考も 捨て去ることはできない。

あなたには それが 掴めないからだ。

あなたは 知らない −−−「想い」が 一つの物だという こと、それを 捕まえられる ということ、それを 捨て去ることもできる ということさえ。

あなたは 思考が どこにあるのかを知らない。

それらが、どこからやって来るのかも 知らない。

 

みんなが こう言う。

「私は 恐れたくない し、 怒りたくもない」と。

が、彼らには どうすることもできない。

というのも、彼らは、その怒りが どこからやって来るのか、その源は 何か、その怒りが どこに保存されていたのか、どこに 蓄積されていたのか、ということさえ 知らないからだ。

あなたは 怒りが出てくる 根っこを知らない。

あらゆる思考は 一つの 物だ。

そして 思考には 貯蔵庫がある。

 

だから 一つの思考が やって来る時 

それは ちょうど 大木の一枚の葉のようだ。

それを 切ることも 捨て去ることもできない −−− 

もし そうすれば、別の葉が 出て来るだろう。

 

根は そこにある。 木は そこにある。

そして、わずかでも思考がある、欲望がある −−− 怒りが、情欲が、性欲が −−− あらゆるものが そこにある 

と気づき始めたとき、それらと 闘ってはいけない。

ただ 見守る。

見守ることで、もっと 気づくようになるからだ。

が、闘うことで 意識的になることは 決してない。

だから 闘ってはいけない −−− 見守るのだ ! 

「見守る」というのが 標語、マントラだ。

 

絶え間なく 見守りなさい。

見守れば 見守るほど、あなたは さらに、光がそこにある と 感じはじめる。 光 は そこにある。

ただ、光を感じるために、目が 調整される必要がある。

だから 見守りなさい ! 

見守れば 目は 慣れていく。

そして、より多くの光があれば、全てが 明瞭に なる。

 

 

(17)終わり…(18)へ 続く