saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章 「 第六の質問 」 (02)

 ある日、 私は

ムラ・ナスルディンが、罵りながら、苦しそうに歩いているのを見かけた

私は 彼に訊ねた

「どうしたんだい

おなかでも 痛いのかね、それとも頭痛か何か かね ?

いったい 何が問題なのかね ?」

彼は 言った

「これが、 この靴を 脱ぐときが、一日の終わりに得る 唯一の開放感なんだ

ああ、 これは ひどいんだ・・・それから あとで楽しむって寸法さ

でも、これは僕のもっている 唯一の楽しみなんだ

だから この靴を 離すわけにはいかない

この靴は サイズ 一つ小さすぎる、 それは ほんとに 地獄さ

でも、 夕方には、それは天国を 与えてくれる

家へ 帰って、靴を脱いで、ソファの上に ごろり、 そして『帰ったぞ !』と 言うんだ

それが とっても いい気分なのさ」

 

これが あなたの やっていることだ

あなたは 苦痛を 創り出す

あなたは苦悩を 創り出し、 追いかけ、 熱に浮かれる

しかるのちに ある日 家に帰って、靴を脱いで、こう言う

「すばらしい、こいつは いい、さあ、 着いたぞ」

だが それが いったい いつまで続くだろう ?

 

その安堵は つかの間しか 続かない

そうなったら、あなたは再び 渇望するようになる

 

いまでは、その女性は無用だ

というのも あなたは彼女を 得たからだ

あなたは再び 条件をつくることはできない

もう 二度と「その女性を得たら 私は 幸せになる」とは 言えない

というのも、彼女はすでに あなたと共にいるからだ

あなたは今度は、誰か ほかの人の女性を見まわしはじめる

「もし あの女性を 得たら・・・」

いまや あなたは ひとつのトリックを知っている

つまり、 まず、あなたは自分の幸福に ある条件を つけなければならない

次に、 その条件を 必死で追わなければ ならない

次に、 ある日 安堵が くる ーーー

さて、これは 不毛だ

 

理解の人は、条件を設定する必要は いっさい ない ということを見る

あなたは 無条件に 幸せであることが できる

 

最後に ほっとする だけのために、なぜ小さな靴で 歩きつづけて苦しむのか ? 

なぜ いつも その安堵感を 持たないのか ? 

 

だが、いつも に なったら、あなたは 安堵を感じないーーーそこが問題だ

それを感じるためには コントラストがいる

あなたは 幸福になっても それを感じない

 

これが ほんとうに幸福な人の 定義だ

真に幸福な人とは、 幸福について 何も知らない人、幸福について聞いたこともない人だ

自分が幸福だ と わからないほど、あまりにも幸福で、あまりにも無条件に 幸福な人だ

 

ただ不幸な人たち だけが「私は幸福だ、ことは うまくいっている」と 言う

これは 不幸な 人たちだ

幸福な人は 幸福について いっさい何も知らない

それは ただ そこにある

それは つねに そこにある

それはちょうど 呼吸のような ものだ

 

 

(02)終わり・・・(03)へ 続く