saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第三章 「 ダンマの車輪 」 (02)

(…よく聴くとは
ふつう、受容的な気分のなかで、深い受容性のなかで聴くことを意味する )

あなたが 聴くとき
もし論争したり、判断したりしていたら
もし「そうだ、これは私の理念に合うから 正しい
あれは論理的に 気に入らないから 正しくない
これは正しい、 これは正しくない
これは 信じられる、これは 信じられない・・・」と 言っていたら
もし心のなかで たえず物事を より分けていたら
あなたは 聴いてはいても、 よ く 聴いてはいない

あなたは 過去のマインドで 干渉しながら 聴いている
誰が そのように判断しているのか ?

それは あなたではない、あなたの過去だ
あなたは 幾つかのことを 読んだことがある
あなたは 幾つかのことを 聞いたことがある
あなたは 幾つかのことを 条件づけされてきた
それは たえず干渉する過去だ
過去は 自分を永続させたい

それは 自分を中断しうるものは 何ひとつ許さない
それは 新しいものは 何ひとつ許さない
許すのは ただ自分に合う 古いものだけだ
それこそあなたが しつづけていることだ
あなたが 判断するとき、批判するとき、内側で論争し、討論するときにーーー


正しく聴く ということは、従順に聴く ということだ
この obedience (従順、素直)という言葉は 美しい
あなたは、この obedience という言葉の語源が
obedire だと知ったら 驚くだろう

それは「完全に聴くこと」を 意味する
どうして obedience が「完全に聴くこと」を 意味するのだろう ?

その二つは 同じことなのだろうか ?
そう そのとおりだ
もし全面的に、完全に聴いたら、あなたは従う
もしそこに真理があれば、あなたは従う
あなたの側では どんな決定もする必要はない
真理は自明だ
ひとたび 聴いたら、あなたは おのずとそれに従う
ひとたび 聴いたら、あなたは それに従順になる

それゆえ、この obedience (従順)という言葉は
obedire (完全に聴く)という言葉から来ている


あるいは、ユダヤの 伝統にあるように、あなたの耳を 裸にすることーーー

もしあなたが ほんとうに耳を開き
内側に どんな干渉も どんな妨害も無くなり
どこからも 気を散らすものが 出てこなくなったら
あなたは ただ耳を開いただけでなく、ハートをも 開いたのだ

そしてもし「種」が ハートのなかに播かれたら
遅かれ早かれ それは 一本の樹に 成長する
遅かれ早かれ それは花開く

それが樹に成長するには 少し時間がかかるかもしれない
しかるべき季節、春が来るのを 待たなければならない
しかし、それは 一本の樹に 成長する
ひとたび真理を聴いたら、あなたは それに従う




(02)終わり・・・(03)へ 続く