saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章「死んではいません」9️⃣

“ どうしてかって?

そなたも解脱に達している師であろうが ”


人は、 師に とても知識があると思っている。
師は 何でも知っているに違いないと思っている。

ところが 実のところ師は 何一つ知ってはいない。
師は 完全な無知を会得している。
なぜなら無知だけが 純真無垢になれるからだ。
知識は そうではない。
知識は 常にずる賢い。
純真には けっしてなりえない。

完全な 無知ーーー

師は 何一つ 全く知らない。
知識は 落ちてしまっている。
師は 在る、存在する。
しかし、「知る人」ではなくなっている。

そして、何であれ 師の言うことは、その純真さから話される。
知識を通して話されるものではない。
純真さのもつ その豊かな力強さのゆえに、師は どんなことでも語ることができる。

そして、何年でも語りつづけることができる。


ゴータマ仏陀は こうして四十年も語りつづけたが、今日では学者たちが、 一人の人間が そんなことをするのは不可能だ、四十年にわたって、しかも あんなに多くを語るなんて とても不可能だと言い出している。

確かに 学者たちには むずかしいことだろう。
なぜなら彼らは、純真さとは 尽きることのない疲れを知らないものだということに 盲目だからだ。


知識は いつかは尽きる。
もし私が 何かを知っているのだったら、それには限界がある。
そうだったら、私は こうも語りつづけることは とてもできない。

だが、あなたに言っておこう。
もし、あなたのほうに用意があるのだったら、私は 永遠にでも語りつづけることができる。
なぜならそれは、 知 る こ と から出てきているのではなく、完全な無知から出てくるものだからだ。

完璧な無知は、あなたの無知とは違う。
あなたの無知は 完璧ではない。
あなたは 知っている。
実際、 知り過ぎているくらいだ。

本当に全く知らない という無知な人は 見つからない。
無知な人が いたとしても、かならず 多かれ少なかれ 知 っ て い る 。
とにかく 何かは 知っている。
正確に知っているか まちがって知っているか、それはともかく、知っているのだ。

愚者でさえ知っている。
そして、ちゃんと知っているのだと 主張する。


ただ、解脱にいたっている人だけが、知っていることを否定する。

ソクラテスは こう言った。
「私は若い頃 たくさんのことを知っていた。
実際 何でもかんでも知っていたと 言える。
だが、少し成熟してくると、私は 自分があまり知っていなかった と感じるようになった。
そして、非常に 年をとってみると、初めて全体が見え、ようやく分かってきた。
今では 私は 一つのことしか知らない。
それは、私は知らない、ということだ」

若い頃のソクラテスは いろいろなことを知っていた。

若さというのは 傲慢だ。
未成熟な人たちだけが 知識のある人たちであって、成熟 というのは無知に似ている。
成熟している人は、「知らない」と言う。
あるいはまた、 知らない ということだけを知っているのだともいえる。


“ 愚堂は応える

どうして私が知ってましょう


上皇

どうしてかって?

どなたも解脱に達している師であろうが ”



答を与えられるのが、ここでは当然のように期待されている。
彼なら 知っているに違いない。

もし彼も知らないとしたら、一体ほかに誰が知り得よう?

この情景の愚堂は 実に美しい。


彼は言う。

“ その通りです

が まだ死んではおりません ”


確かに 私は師ですが、しかし、死んではいません。
しばらく お待ちいただきたい。
死にましたら、そのときには、解脱した人間が死んだらどうなるか お話しできましょう。

ですが、私は まだ生きていまして、それなのに死んだときのことを お訊きになる。
まだ死は 起こっていませんのに、どうして知っていましょうか?

私が死んだときに あらためて御報告いたします。


死は、解脱した人間には けっして起こらない。
愚堂の応えは ここでは本当に賢い。

死は 解脱者には けっして起こらない。
無知な人たちだけが 死ぬ。
自我(エゴ)だけが 死んでいく。


内側に 中心がなくなっていたら、一体 何が死ぬのだね?
死が どう可能なのだ?

死は、エゴに対して、自己に対してのみ あり得る。
自己のないところに 死が どう起こりえよう?

いつの時代にも、解脱した人たち皆が 言いつづけてきたのは、このことに尽きる。

エゴを死なせることで、永遠なるものを得よ、 このことだ!

自我(エゴ)を 死なせなさい。

そうすれば あなたにも 死は ありえなくなる。

あなたは 死のない存在となる。



第七章 死んではいません 終


「草 は ひ と り で に 生 え る」 by OSHO
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