saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

…今/ここ---

…FB に 友人が投稿した記事です。

(OSHO 講話の抜粋---)

私のメッセージは
実に単純だ。

生を
できるかぎり
危険に満ちて
生きなさい。
生を全面的に
強烈に
情熱的に
生きなさい。
なぜなら、
生よりほかに
神はないからだ。

フリードリヒ・ニーチェ
「神は死んだ」と言う。
それは間違いだ。

なぜなら、
神など最初から
そこにいなかった
からだ。
どうして
その神が
死ぬなんてことがある…?

生はある。
今までも
ずっとあったし、
これからも
常にあるだろう。

自分を許しなさい…
そして
私はくり返し言う、
自分が
生に乗っ取られることを
許しなさい。

過去のいわゆる宗教は、
まさに
その逆を
教えつづけてきた。

彼らは
「放棄しなさい」
と言う。
私は
『祝いなさい』
と言う。

彼らは生を否定し、
私は肯定する。

彼らは、
生は何か
間違ったもの…
幻影のようなものだと言う。
そして、
彼ら自身の
マインドの投影以外の
何ものでもない…
神という
抽象的な概念を創りだし…
その投影を崇拝する。
それは
実に非知性的で、
馬鹿げているから、
何百万もの人々が
こうした
まったくのたわごとを
どうして信じてきたのか、
不思議なくらいだ。
ものごとのあるがままが、
マインドの
抽象にすぎないもののために
否定されている。

神とは
言葉にすぎない。
だが彼らは、
神は実在すると言う。

生は‘現実’だ。
あなたは生を
自分のハートの
ときめきのなかに
感じる。
生は
あなたの血のなかで
脈打つ…
生は至るところにある…
花に、
川に、
星に。

それなのに
彼らは、
これらは
すべて“マーヤ”だ、
すべて幻影だと言う。
生は
夢が作られるのと
同じ材料で
作られていると言う。

が…、
彼らは神を創る
もちろん、
誰もが
自分勝手な想像で
神を創る。
だから…
何千もの神々が
創られてきた。

それは
あなたの想像だ。
あなたは
頭の四つある神を
創ることもできれば、
千の手をもつ神を
創ることもできる。
それは‘あなた’次第…
あなたの ゲームだ。
そして、
これらの人々は
ずっと言いつづけ…
他人のマインドを
毒しつづけてきた。

私はあなたに言おう、
生が 唯一の真理だ。
生よりほかに神はない。

だから、
生のすべての
形、 色、 次元…
その虹全体、
その音楽の
あらゆる音色において、
自分自身が
生に乗っ取られるのを
許しなさい。

もし、
あなたが
この単純なことを
やっていけるとしたら…
それは単純だ。
なぜなら、
それはただ
‘手放し'という問題に
すぎないからだ。

川を
押し進めてはいけない。
川があなたを
大海へ連れてゆくに
任せなさい。

それはすでに
道の途上にある…
あなたは
ただくつろぐがいい。
緊張したり、
スピリチュアルに
なろうとしては
いけない。
物質と精神のあいだに、
いかなる境界線も
創ってはいけない。

存在はひとつだ。
物質と精神は
同じコインの
表と裏にすぎない。
くつろぎなさい。
休みなさい。
そして、
川と伴に行きなさい。

ギャンブラーで
いてごらん。
ビジネスマンで
いてはいけない。
そうすれば…
あなたはもっと
神を知るだろう。

なぜなら
ギャンブラーは
危険を冒すことが
できるからだ。
ギャンブラーは
計算高くない。
彼は
自分のもっているもの
すべてを
賭けることができる。

しかし、
すべてを賭けて
待っているときの
ギャンブラーのスリル……
さぁ、どうなるか?
まさに…
その瞬間に、
窓が開きうる。
その瞬間が、
内なる
ゲシュタルトの変容
となりうる。

大酒飲みになりなさい。
生に、
存在のワインに
酔いしれなさい。

しらふでいるのは
やめなさい。
しらふの人というのは…
死んでいる。

生のワインを
あおりなさい。
それは
ほんとうに
たくさんの詩と
多くの愛と
多くの ジュースに
あふれている。

あなたは
いつでも春を
連れてくることができる。
ちょっと春に声をかけて…
太陽と風と雨を
あなたのなかに
入らせなさい…。

スピリチュアリストたちが
私に反対するのは、
まさに
このメッセージのためだ。
なぜなら、
彼らは
私が神を否定していると
思っているからだ。

私は
神を否定してはいない。
私がはじめて、
神とは
本当は“なに"なのかを
明らかにしている。
私は神に生命を与えている。
私は神をあなたに近づける。
あなたの
ハートそのものよりも
近くに…
なぜなら、
神はあなたの
実存そのものであり、
かけ離れた何かではなく、
遠くにある何かではなく、
空の上にある何かではなく、
‘今ここ'だからだ。

私は
“そのとき、そこで”
という
観念そのものを
壊そうと している。
私のビジョン全体は
‘今’と‘ここ’のものだ。

なぜなら、
ここよりほかに
場所はなく、
今よりほかに
ときは
ないからだ。

Osho - Guida Spiritual