saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章「第二の質問」02

 ーー「第二の質問」ーー 02

 

  ウイルヘルム・ライヒによると、セックスの中で 深いオルガスムに到達しないかぎり、セックスを知っているとはいえない。

セックスとは たんなる性エネルギーの放出ではない。

肝心なのは身体全体が くつろぐことだ。

そのとき性体験は 性センターに局限されず、身体全体に 拡がっていく。

あらゆる細胞が それに浴し、あなたは絶頂を迎える。

その絶頂の中で、もはや あなたは身体ではない。

もしセックスの中で 絶頂に到達できなかったら……もはや身体でなくなるような絶頂に到達できなかったら、それはセックスを まったく知らないということだ。

だからこそ ウイルヘルム・ライヒは じつに逆説的なことを 言ったのだ。

いわく、 セックスは精神的だ。

 

  これは またタントラの言葉でもある。

その意味は こうだ。

深いセックスの中で、あなたは まったく身体でなくなる。

空に浮かぶ魂になる。

身体は はるか後に 置き去りにされ、完全に 忘れ去られる。

身体は もうない。

あなたは もう物質世界の 一部ではない。

非物質と なっている。

そうして初めてオルガスムが存在する。

これこそが タントラの言う「サンボーグ」、性交渉だ。

 

  そこに現れるのは 全面的なくつろぎだ ーー 自分は成就しているという感覚、何物も欲求する必要がない という感覚だ。

この感覚、この無欲求の感覚が セックスの中で起こらないかぎり、セックスを 知っているとはまったく言えない。

たとえ 子供をつくったことがあったとしても、それは 簡単なことであり、また別問題だ。

 

  セックスの中で このような精神性に到達できるのは 人間だけだ。

それがなければ セックスとは ただの動物本能にすぎなくなる。

教師や僧が セックスを罪悪視すると、あなたは「そのとおりだ」と うなずくタントラの言うことは なかなか信じがたい。

なぜなら あなたはそれを体験していないからだ。

だからこそ タントラは いまだに世に広く知られていないのだ。

でも その将来は明るい。

人間の 知恵と理解力が増すにしたがって、タントラは認識され、理解されるようになる。

 

  ここ わずか百年の間に、心理学は タントラ的な世界の基礎を築き上げてきた。

にも かかわらず あなたは依然、セックスを罪悪視するような人々に うなずく。

なぜなら自分にも 同じ体験があるからだ。

あなたは知っている ーー セックスの中では なにも起こらない、そしてセックスが終わると 落ち込んでしまう。

だからこそ これほど罪悪視されるのだ。

セックスをするたびに 落ち込む。

そして あとから後悔する。

 

  タントラ、ウィルヘルム・ライヒフロイトと いった事情に通じた人々はみな こう言っている ーー セックスで オルガスムに達したら、その高揚感は その後 何時間も続き、自分がまったく変わったかのように感じられる。

もはや 悩みもなく、緊張もない。

陶酔感が生じ、エクスタシーが現れる。

そのエクスタシーが起こるのは、どこまでも ゆだねているときだけ、身構えていないときだけだ。

もう あなたは戦っていない。

ただ 生エネルギーとともに 動いている。

 

  生エネルギーには ふたつの層がある。

 

 

02 おわり…03へ つづく

 

 

 

タントラ秘法の書   第四巻

「沈黙の音」

ヴィギャン・バイラヴ・タントラ

 


講話   OSHO

翻訳   スワミ・アドヴァイト・パルヴァ

            (田中ぱるば)

発行者   マ・ギャン・パトラ

発行   株式会社 市民出版社