saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「 質疑応答 五日めの朝 」by OSHO

「エゴは落ちる―――たった今 !」07

(その情況を整えるには 時間がかかる。)

 

〈覚醒〉に関しては 古来二派があって、一派は、〈覚醒〉は瞬間的に起こるとする突然の〈覚醒〉を語る派

〈覚醒〉を 非時間的にとらえる派だ。

 もう一派は、最初の派とは正反対に、〈覚醒〉は漸次的にやってくるものという、徐々に起こる〈覚醒〉を語る派で、突然に起こるものは 何ひとつない と 言う。

どちらも正しい。

なぜなら、両方とも現象の一部だけを選びとって 見ているからだ。

“漸次”派は 最初の部分、理解の部分を選択している。

彼らは それには時間を かけなければならないのだ と 言い

理解は時間を通じて来るものだと 言う。

そのとおり ! 

彼らは、“突然のこと” については 心配することはない と 言う。

ただ 道順(プロセス)通り行けば それでいい。

もし 水が正しく熱せられていたら いつかは蒸発するだろう。

あなたはべつに蒸発のことは 心配しなくていい。

頭から そのことを完全に取り去ってしまいなさい。

あなたは ただ水を熱すればいいだけだ……

 

 もう一つの派、まったく反対に〈覚醒〉は突然のものだと言っている この派は、最後の部分を執っている。

この派によれば、最初の部分は 大して本質的ではないと言う。

大事なことは、あの時間を超えた間際の内で起こる爆発だ。

最初の部分は 周辺のことにすぎない。

 本 当 の こ と、つまり二番目のことが中心になる……

 

 だが あなた方に言っておく、両方とも正しいのだと。

〈覚醒〉は 突然起こる。

それは 常に突然起こってきた。

しかし、理解には 時間がかかる――

両方とも正しい。

が、両方とも またまちがった解釈をされることがある。

あなた方は 自分自身に策略を弄することがある。

あなた方は 自分自身に 策略を弄することができる。

自分を だますことができるのだ。

もしあなたが 何もしたくないとおもったら

突然の〈覚醒〉を信じることはすばらしいことになる。

そうなったら あなたは こう言う。

何をする必要もない。もし突然に起こるものならば

それは そのように起こるしかない。

自分に何ができよう ?  ただ 待つだけだ……

……が、これは自己欺瞞かもしれない。

 

 このために、殊に日本では、宗教が消えてしまった ! 

日本には “突然の〈覚醒〉”の 長い伝統がある。

禅では〈覚醒〉は 突然 起こるという。

このために、国全体が 非宗教的になってしまった。

徐々に徐々に、人々は、“突然の〈覚醒〉”こそ 唯一の可能性であると 信じるようになっていった。

何も できることは ないではないか―――

それ が起こるときには 起こるだろう

もし起こるとしたら きっと起こる。

起こらないとしたら、起こらないだけだ。

それに関して 何もできることはない

それなら、何も 心配することはない……

東洋の中では日本は いちばん物質的な国だ。

東洋の中にあって、日本は西洋の 一部として存在する。

これは おかしなはなしだね。

というのも日本には 最高に美しい伝統の一つ

ディヤンからチャン そして禅へとなっていった伝統があるからだ。

なぜ それが消えてしまったのだろう ? 

それが消えたのは、この“突然の〈覚醒〉” という概念のためだ。

 

 人々は 自らを欺(あざむ)きはじめたのだ……

 

 インドでは もう一つ別な現象が起こっている―――

だからこそ私は、人間の 頭(マインド)というのは まったく欺瞞的で ずる賢いと くり返しくり返し言いつづけるのだよ。

 

あなた方は 絶えず用心していなければならない。

さもなければ だまされることになる。

 

インドにはでは もう一つ別な伝統があるが

それは、漸進的な〈覚醒〉の伝統だ。

それこそ “ヨーガ”の意味するところ、つまりあなたは それのために はたらかなければならない。

何生にもわたって きびしい修行をしなければならない。

鍛練が必要だし、作業が必要だ。

それに懸命な自己作業をしなければ、それは成就できるものではない。

 したがって、それは長いプロセス、非常に長い道程だ。

あまりにも 長いため、インドでは 一回きりの生涯では とても足りないと言う。

たくさんの生が必要だ と ……

このことに どこもおかしいことはない。

理解に関するかぎり、これは真実だ。

ところが

そうなったらインドは、そんなに時間がかかるものなら急ぐことはないと 考えてしまった。

どうして そんなに急ぐ必要がある ? 

それなら 世の中を楽しむがいい。

急ぐ必要はないし、時間は たっぷりある。

そんなに長い道程なら 今日のうちに成就することなど できはしない。

もし今日中に成就できないとなると、関心は失われる。

何生も待つことができるほどに熱心な人は 誰もいない。

ただもう忘れてしまうばかりだ。

 

漸進的なプロセスは インドを破壊し

突然起こるほうの概念は 日本を壊してしまった。

 

私にとっては

両方とも真実だ―― ! 

 

 

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