saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第12章、三番目の質問−(02)

(02)

 

(…それら三つのタイプが、全て あなたの中に存在する。
が、一つは 二次的なものだ。

覚えておくべき 二つの基準がある )

 

その 一つ、もしあなたが 知のタイプなら、あなたの経験すべてが、根本的に 知ることで 始まっている ということだ。

決して ほかの何か ではない。

 

たとえば、もし知のタイプの人が 誰かと恋に落ちたとしても、一目惚れは あり得ない。

彼には できない !  それは 不可能だ ! 

まず最初に、彼らは 相手のことを 知らなければならない。

ある程度、親しくなる必要がある。

だから 恋に落ちるには

長いプロセスを 通っていかねばならないだろう。

そして長い間、知るという過程を通してのみ決断する。

 

そのために、このタイプの人間は いつも数多くの機会を逸することになる −−− なぜなら、瞬時の決断の必要がある時に、このタイプの人は その瞬間に決断できない。

だから、普通 このタイプの人は 決して行動的ではない。

それは あり得ない。

彼が 決断を下す頃には、その時期が 過ぎているからだ。

考えている間に、時期は過ぎてしまう。

彼が結論に至る頃には、その結論は 無意味になっている。

その時が 結論を下す時なのに、彼は 結論を下せなかった。

彼は 行動的ではあり得ない。

そして、考えることができる人達が行動を 起こせず 

行動できる人達は 考えることができない というのが 

世界の悲劇の ひとつだ

それは 根本的な悲劇のひとつだ。が、現実は そうだ。

 

そこで、常に 心に留めておくべきことは 

知のタイプの人間は 非常に少ない ということだ。

その割合は ごく少ない −−− 

せいぜい 二、三%と いったところだ。

彼らにとって、全ては 知ることで始まる。

その後に初めて、感じることと行動が やって来る。

知ること、感じること、行動すること −−− 

これが このタイプの人たちの順番だ。

彼は 多くの機会を 取り逃がすかもしれない。

が、彼には どうしようもない。

彼は まず最初に考えてしまう。

 

二番目に 覚えておくべきことは、この知のタイプの人間は 知ることで始めるが、知るまでは 決して結論を下さないということ。

そして、その対象の 長所と短所を知らない限り 

どんな偏見も先入観も、受け入れない ということだ。

このタイプの人間は 科学者になる。

このタイプの人間は、絶対的に公平な哲学者、科学者、観察者になれる。

 

あなたの反応、あなたの行動が どんなものであれ、

それが どこから始まっているか、常に見つけ出しなさい。

その始まっている地点が、あなたの中の 優位なタイプを 判定できるだろう。

 

感情タイプに属する人は、まず最初に 感じ始め、

その後に 多くの理由を集める。

彼にとっては、理由は 二次的だ。 彼は まず感じ始める。

彼は あなたを見て、ハートのなかで 

あなたが 良い人か 悪い人かを判断する。

この判断は 感覚による 判断だ。

彼は あなたのことを知らないが、見ただけで 判断する。

あなたが 良い人か悪い人かを感じた その後に、あらかじめ判断したことが何であれ、それを正当化する理由を 集め続ける。

 

感情タイプの人間は まず最初に 結論を下し、その後に理由が 続く。その後に それを正当化する。

だから、自分が ある人を 見ただけで、その人が 良い人か悪い人か、愛のある人か愛のない人か、先に 結論を下して いるか いないか、自分自身の中を 見つめてみなさい。

先に 結論を下して、その後に あなたは理由を作り出す。

それから、自分自身の感覚に 自分自身を納得させようとする。

「そうだ、私は正しかった。 彼は 良い人だ。 そして、その理由は これこれだ。 私には わかっていた。 私は 知っていた。 他の人にも話してある。

そして今、私は 彼は良い人だ と考える」

 

しかし、「彼は良い人だ」というのは 

第一印象での 結論だった。

 

感情タイプの人間に 関しては 

三段論法は ちょうど 逆になる。

結論が 第一で、それから 過程がやって来る。

 

理知タイプの人間では 決して結論が最初に 来ることはない。

まず最初に 仮定があり、最後に結論がやって来る。

だから、自分のことを 見つめ続けなさい。

結論を下す時に、自分は どうしているのか ? 

 

行動タイプでは、まず最初に 行動がやって来る。

彼は 行動を起こす その瞬間に結論を下し 

その後に 感じ始める。

そして 最後に 理由を 作り出す。

 

ガンジーは行動タイプだ、と 私は あなた方に言った。

彼は 最初に結論を下す。

そこで彼は「これは私の下した結論ではない。 これは 神が下した結論だ」と 言うだろう。

実際、行動は 何のプロセスもなく 

余りにも素早く 彼のところに訪れる。

そういう状況で、どうして彼に「私が決めた」と言えるだろう ? 

 

思考タイプの人間は いつも「私が決めた」と言うだろう。

感情タイプの人間は いつも「私は そう感じた」と言うだろう。

だが、行動タイプ −−− マホメッドガンジー −− 彼らは いつも「私は 感じもしなければ、考えもしない。

この結論は 私の所に やって来た」と言うだろう。

では、どこから ? 

どこからともなくだ ! 

 

もし彼が 神を信じていなければ、彼は「どこからともなくだ !

この結論は 私の中に湧き上がって来た。 どこから湧き上がって来たかは わからない」と 言うだろう。

もし彼が 神を信じていれば 神が 結論を下した張本人になる。

その後、神は あらゆることを 言う。

そして ガンジーは やり続ける。

だからガンジーは「私が間違った。でも、結論を下したのは 私ではない」とだけ言える。

彼は「私は 神の下した決定に 従わなかったのかもしれない。

あるいは、神からのメッセージを正しく理解しなかったのかもしれない。

あるいは、自分が すべきことを していなかったのかもしれない。

でも、その決定は 神からやって来た。

私はただ、神の言うとおりにしていればいい。 ただ神に明け渡し、従うだけでいい」と 言える。

マホメッドにとって、ガンジーにとって は それが彼らの在り方だ。

 

 

(02)終わり(03)へ 続く