saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章 「宝もの The treasure 」 (04)

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…いまだ 何かを探し求めているなら、あなたは依然として 世俗的な人間だ。
すべての探求がやみ、知るべきことは ただひとつ、「私の中にいる この探求者は 誰なのか。
この探求を欲するエネルギーは 何なのか、私は誰か」ということだ と不意に気づいたら、変容が起こる。
価値観のすべてが急転する。
あなたは 内側へ向かい出す。


ラビアはもう、魂にある暗闇のどこかで失くした針を捜して 道路に座ってはいない。
ひとたび 内に向かえば・・・最初は とても暗い、ラビアは正しい。
そこは きわめて暗い。
というのは、あなたは 何生も 内側にいたことがなかったし、目の焦点を ずっと外側に合わせていたからだ。

見たことが、観察したことがあるだろうか。
暑くて とても日差しの強い、明るい道路から、急に家の中や部屋に入ると、とても暗いことがある。
目が 外の大量の光に 調節されていたからだ。
大量の光があると 瞳孔が縮む。
暗闇だと緩まなくてはならない。
暗闇では 大きな瞳孔が必要だが、明るいところでは小さくていい。
それが カメラの働き、目の働きだ。
カメラは 人間の目に倣って発明された。

だから、急に外から入って来ると、家の中は 暗く見える。
だが少し座っていれば、やがて暗闇は 消える。
より多くの 光が入って来る。
目が 慣れていく。

何生もの間、あなたはずっと熱い太陽の下に、外界にいた。
それで、中に入ろうにも 入り方や目の調節の仕方を すっかり忘れてしまった。
瞑想は、あなたの視力、見る能力を再調整するものに他ならない。
インドで『第三の目』と呼ばれているものだ。
それはどこかにある目ではなく、視力の 再調整、根本的な調節をするものだ。
やがて 闇は闇でなくなり、微妙な、満ちた光を 感じ始める。

内側を 見続けていれば、時間はかかるが、だんだんと、ゆっくりと きわめて美しい内部の光を 感じだす。
それは ぎらぎらした光、太陽の光のようなものではなく、月の光により近い。
まばゆくはない。
とても冷ややかで 熱くはない。

とても 慈悲深い、痛みを和らげる香油だ。

しばらくして、内部の光に順応すると、あなたが まさに、その源泉であることがわかるだろう。

探求者こそ 探求されるべきもの、すると、宝は 自分の内部にあるのだと、すべての間違いは それを外部に求めていたことだとわかるだろう。
あなたは 宝を 外部に求めていたが、それは常に あなたの内部に、ここにあった。

あなたは違う方向を探していた。 それだけのことだ。



(04)終わり・・・(05)へ 続く