saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章「濃紫に染められた野辺」9️⃣

…( 蜷川は 一休と同じ領地の出身だが、彼はそんなことを指して言ったのではない。
彼は 内面の領域について、内面の探求について言ったのだ。)


おそらく、あなたは もうずっと前方に いらっしゃるでしょう。
おそらく、あなたは もう到達しておられ、私はといえば ほんの初心者だ。
しかし、私も 同じ領地に属する者です。

探求するところは 同じ------同じ 旅仲間です。


ひとたび あなたのハートが〈真理〉を知ろうとする 衝動にかり立てられたら、あなたも また、全ての覚者(ブッダ)たちと 同じ旅をする 旅仲間になる。

彼らは 行き着いた。
あなたも また行き着くだろう。

それには何世も 何世も かかるかもしれない。
だがそれは たいしたことではない。
あなたは 道を歩み始めた。
まだ ほんの先端にいるかもしれないが、でもあなたは 同じ旅の 旅仲間だ。


蜷川は言う

“ 和尚と同国なり ”

私は、 あなたと 同じ世界に属しています。


一休- - ふむ、 あちらはこの頃 如何かの?


一休は 蜷川を 突つくのをやめない。
挑発している。
もしかしたら この男は、どこかで習ったり 借り物の美辞麗句を並べて 欺(アザム)こうとしている 見せかけや かもしれない。
それとも こうした問答が書かれている 教典を勉強した禅宗の学者か?
だが、一休から 逃れることはできない。
もしこの男が 見せかけだけの人間だとしたら、そのうち どこかでシッポを出す。


“ ふむ、 あちらはこの頃 如何かの? ”


一休は蜷川を 出発点に また引き戻す。
彼が 言おうとしたことも よく解っている。
同国 という言葉で何を意味したか よく解っている。
だが、それを 認めようとはしない。
「あちらでは最近どんなことが起こっている?」と 訊き返す。
誰が 偉くなったかね? 誰かの女房が浮気をしたような話は? ウワサとか ゴシップ、最近 どんなことが起こっている?
いろんな出来事が あったに違いない。
誰が死んだとか、結婚したとか、出来事だ。
どんなことが 起こっているのだね?


“ 蜷川- - 烏は かあかあ 雀は ちゅんちゅん ”



元首や 宰相たちと その世界、政治や経済や 市場の動向は 本当の歴史ではない。
それらは 偶発的な事柄にすぎない。
それらは 永遠の 一部ではなく、時間のなかで起こることだ。

永遠であるものだけが、 知 っ て い る 人たちにとって 唯一のニュースだ。
知らない人たちにとっては、偶発的なことだけが 唯一のニュースになる。


“ 烏は かあかあ 雀は ちゅんちゅん ”

これこそ永遠不滅の ニュース、今までも ずっとこのように起こり、今も このように起こっているニュースだ。

夏と冬、自然は 移り行き、雲は現れ また消えていく。
これが 永遠だ。
朝には 陽が昇り、夕べには 沈む。
夜には星が、 ほのかな音楽を奏でながら 大空に広がる。
これだけの ことだ。
これが 本当のニュースなのだ。

カラスは 誰が出世しようと構わない。
スズメは 出来事の世界に その涙ほどの注意も払わない。

人間だけは、ガラクタが いっぱい詰まっている。


ヘンリーフォードが、「歴史なんてデタラメだ」と 言ったことがある。
こういうことが、あれほどの富豪の口から 発せられた というのは稀有なことだ。

フォードの 言ったことは正しい。
ナポレオンが 勝とうが敗走しようが、それが どうだというのだ?
誰が支配者であれ〈永遠〉は動いていく。
あれこれ起こっていることに 気づきさえしない。

蜷川は 何を言っているのだろうか?
彼は、〈永遠〉なるものは 常に変わらない と言っている。


“ 烏は かあかあ 雀は ちゅんちゅん ”


“ そなた 今 何処にいるとお思いか? ”


一休は 厳しい。
また 別のところからアタックする。
君は 今 自分がどこにいると思うかね?


“ 蜷川- -濃むらさきに染まる野辺に ”


大徳寺は 京都の 紫野にある寺として知られていた。


“ なにゆえ? ”


なぜ そんな呼び方をする? 君は今 紫野の寺にいる。
なぜ ここを 濃むらさきに染められている野と呼ぶ?


“ 蜷川- -桔梗キキョウ 槿ムクゲ 萱草カヤクサ 紫蘭シラン ”


花が 辺り一面に 咲き乱れている。
蜷川は、「紫野という名前ですから」とは 言わない。
名前は 記憶に、過去に 関するものだ。
師は 今のことを訊いている。

今 周囲は 花であふれているではないか。


“ 桔梗 槿 萱草 紫蘭


この咲き群れた花で、辺り 一面、濃むらさきに 染められたかのようだ------

一休が 今について 訊けば、蜷川もまた 今について話している。
しかし、 一休は 一筋縄ではいかない 禅師だ。
手綱(タズナ)を ゆるめず、重ねて問いつめる。


“ それらが去りし後は? ”


今、ここに 君の言う花が確かに 咲いている。
いいだろう。
だから濃むらさきに 染められている野、 と呼んだのだろう。
だが、まもなく これらの花は散る。
そうなったら、何と呼ぶのかね?
花が 散り去った後は?



“ 蜷川- -宮城野 秋 花開きし野なり ”



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