saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

マイ ウェイ「10日めの朝 (1974.5.19)」OSHO

P 292 抜粋ーーー

この話は 美しい。
西洋で 初めて禅が知られるようになったときには
人々は、禅師たちが あまりに馬鹿げたことを言ったり やったり、訊いたりするのが 信じられなかった。

そしてあなたの側から 質問する場合には、彼は “対応” する。
禅の導師(マスター)たちは けっして解答は与えない。
彼らは 対応する。



或る人が、もちろん哲学指向の求道者だが、睦州禅師のところにやって来て訊いた。

〈道〉とは 何でしょう?

と、睦州は近くの山を見て言ったという。
じつにきれいな山だねえーーー
ーーー馬鹿げている!

この人は、〈道〉とは何か? と訊ねているのに
睦州は、山はきれいだ!と 言っているのだーー

不満を抱いて その求道者は すぐさま離れて行った。

と、睦州は 大笑いをしたという。

弟子の一人が訊ねた。
師よ
あの男は あなたのことを 狂っていると思ったにちがいありません。

すると睦州は言った。
我々のどちらかは あきらかに狂っているさ。
あの男が狂っているかーーーーーー
ーーーなぜなら〈道〉は 問うことなどできない ものだ。
人は それを 旅しなければならない。
旅することによって〈道〉は 発見される。

それは既製品として できあがっているものではない。
だから私には それがどこにあるかは言えないーー

それは高速道路のように、既にできあがっていて
さあ、いらっしゃい と あなたを待っているものではない。
そんな〈道〉など あるものではない。
もしあったとしたら、皆 とうの昔に到っていたはずだ。
もし〈道〉が 既製品だったら
あらゆる人が 旅していたはずだ。

〈道〉は あなたが旅し 歩むことで創られる。
それは そこに在って あなたを待っているわけではない。
あなたが 一歩 進みはじめる瞬間 それは創られる。

それは あなたの内(ナカ)から出てくるもの
ちょうど蜘蛛の糸のように、あなたを通じて出てくる。
あなたが それを創るのだ
それから あなたは それを旅するーー
そしてそれを もっと創っていく。



憶えているがいい。
〈道〉は あなたとともに消えていく。
だからその上を旅できる者は ほかに誰もいない。
それは 借りることのできないもの。

だから この師(マスター)は 言ったのだ。
それは問うことなどできないーーと

愚かな人たちだけが そういった質問をする。
〈道〉とは何でしょう?
“あなた自身が”〈“道”〉“なのに”!

このとき弟子は言った。
それは解りますーーーーーーが
なぜあなたは 山のことなどもち出したのですか?

師は言った。
師は 山のことを語らねばならない。
なぜなら
山を越えて行かないかぎり〈道〉は 見つからないからだ。

山の彼方に〈道〉は在る

山は じつにきれいだ、美しい!
誰も それを越えたいとは思わない。
あまりにも魅惑的で、あまりにも催眠的だ。
誰も彼も 山の中で迷ってしまう。
ところが〈道〉は その彼方に在るのだ。



導師(マスター)は 対応するーー
彼は あなたがたが 真に必要としているものを当てる。
彼は あなたがたの問いなどに かかずらわない。

あなたがたの質問は 的を射ているかもしれないし、見当ちがいかもしれない。
“ あなた自身は常に見当ちがいだ ”!

彼は あなたの内部(ナカ)を見る。
彼は あなたを打つ!
しかし
知的な人々は かならずその種の答を取り逃がすーー




「マイウェイ⚪流れ行く白雲の道」
バグワンーシュリーラジニーシ

翻訳 = マーアナンドーナルタン
発行 = RPJ
発売 = 株式会社めるくまーる社