saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「内なる宇宙の発見」by OSHO

(7️⃣)Pp 256 ー 258
(…だからこそ マヘッシ-ヨーギが あれほど西洋で もてはやされるのだ。)

彼は マントラ(真言、呪文)を繰り返させる。
西洋では 眠りがもっとも深刻な問題のひとつになっている。
眠ることが まるで困難になっている。
自然な眠りは消え去った。

鎮静剤など いろんな薬を使って、やっと眠りに入る。
そうでもしなければ 眠れなくなっている。

だから マヘッシ-ヨーギには人気があるのだ。

つまり、絶えず なにかを繰り返せば、その繰り返しが 深い眠りをもたらす。
それだけのことだ。


いわゆる超越瞑想とは、心理的鎮静剤以外の何物でもない。
ただの 鎮静剤だ。

効果はある。
だが それが効果をあげるのは、眠りに対してであって、瞑想にではない。

確かに よく眠れるだろう。
より安らかな眠りが 訪れるだろう。
それはそれでいい、だがしかし瞑想ではない。

ある言葉を 絶えず繰り返せば、ある種の退屈が生じる。
そして 退屈は 眠りを誘う。


なんであれ 単調なもの、反復性のものは、眠りの助けとなる。

母親の胎内にいる子供は 九ヵ月間 ずっと眠り続ける。
その理由を知っているだろうか。
その理由は、母親の心臓の「トク、トク、トク」という音にある。

心臓が絶えず 鼓動している。
それは この世で もっとも単調なものだ。
同じ鼓動が 絶えず繰り返されるので、子供は麻酔状態になる。
そして 眠り続ける。


だからこそ 子供が泣いていたり、わめいていたり、なにか面倒を起こしていると、母親は 子供の頭を 自分の心臓の近くに 当てがうのだ。

すると にわかに 子供は心地よくなり、眠りに落ちる。

これも やはり鼓動のせいだ。
子供は再び 胎内に帰る。
だからこそ、子供でなくとも あなたが 妻や 恋人の胸に 頭を寄せると、その単調な鼓動によって 眠気を覚えるのだ。


心理学者は、眠れないときには 時計に集中するように言う。
ひたすら時計の「チックタック、チックタック」に 集中する。

それは 心臓の鼓動と同じなので、あなたは眠ることができる。
反復的なものは なんでも役に立つ。


この「私は在る」の想起は、言葉に出す マントラではない。
言葉で 繰り返すものではないーーー 感じるものだ!

まず自分の存在に対して 敏感になることだ。

誰かの 手に触れるとき、その人の手に 触れるだけでなく、自分の感触も 感じ、自分自身をも 感じるーーー自分が この感触の中に 全面的に存在している ということをーーー。

食べているとき、ただ食べずに、食べている自分自身のことも 感じる。

この 感じること、この敏感さを 自分のマインドの中に もっともっと浸透させるのだ。


ある日、突然 あなたは、自分の中心(センター)に目覚めるーーーその中心は初めて機能している。

すると 世界は全体は ひとつの夢となる。

そして、自分の夢が 夢だとわかる。

自分の夢が 夢だとわかるとき、夢見はやむ。
夢が続くのは、それを現実だと 感じるときだけだ。
それを非現実だと感じたら 夢見はやむ。


いったん 夢見が やめば、あなたは別人となる。

古い人間は 死んだ。
眠った人間は 死んだ。
もう あなたは かつての人間ではない。

こうして初めて、あなたは 覚醒する。

こうして眠っている 世界全体の中で、初めてあなたは目覚める。

あなたは 今ひとりのブッダ、ひとりの「目覚めたもの」だ。


この目覚めによって、「苦」は なくなる。

この目覚めの後、死は なくなる。

この目覚めを通じて、恐怖は なくなる。

あなたは初めて、すべてから 自由になる。


眠りから 自由になり、夢見から自由になることは、すべてから自由になることだ。

あなたは 自由に到達する。

憎しみ、怒り、貪欲は 消え失せる。

あなたは 愛そのものになる。
愛深くなるのではなく、愛 そのものになる!



V IGYAN BHAIRAV. TANTRA
タントラ秘法の書。第一巻
内なる宇宙の発見」

講話 / OSHO
翻訳 / スワミ-アドヴァイト-パルヴァ (田中ぱるば)
発行 / 市民出版社