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ある男が仏陀のもとへ行った。
彼は人類のために
何かをしたかった。
彼は大金持ちだった。
彼は仏陀に尋ねた。
「人類のために
 私にできることを教えてください。
 私にはたくさんの金があります。
 子供もなく、
 妻は死に、
 独り身ですから、
 何でもすることができます」

仏陀はとても悲しげな目で
男を見つめて沈黙していた。
男は言った。
「なぜ
 黙っておられるのですか?
 なぜ
 話をしてくださらないのですか?
 あなたはいつも
 慈悲について語っておられます。
 私には
 何でもする用意があります。
 おっしゃってくだされば
 何でもします。
 大丈夫です――
 私には充分な金がありますから!
 どんな仕事でも
 与えてくだされば
 やり遂げます」

仏陀は言った。
「あなたが言っていることは
 わかるが、
 私は悲しいのだ。
 あなたは
 ものごとを為すことができない。
 なぜなら、
 あなたはまだ
 存在していないからだ。
 何かを為すことが
 できるようになる前に、
 人はまず存在するように
 ならなければいけない。
 問題は
 どれだけ金を
 もっているかではなく、
 あなた自身が
 いないことにある!」

慈悲心という質は
実存の影なのだが、
その実存が欠けている。

自我(エゴ)はけっして
慈悲心をもつことができない。
自我は非情だ。
慈悲のゲームを
演じているときでさえ、
自我は非情だ。

自我が消えてしまうと……
ときには自我のない人が
とても非情に見えることがある。
が、
そうではない。
彼は非情ではありえない。
彼のその非情さですら
深い慈悲にちがいない。

禅師が弟子の頭を
棒で打つのは非情ではない。
それは
とほうもない慈悲だ。

禅師が弟子に
飛びかかって殴るのは
非情ではない。
なぜなら、
ときおり師の一撃によって、
一瞬のうちに、
稲妻が闇を切り裂くように
弟子が
光明を得ることがあるからだ。

仏陀は言った。
「あなたには何もできない。
 金があることは知っている。
 あなたのことは耳にしていた。
 だが、
 あなたをのぞき込んだとき、
 私はひどく悲しくなった。
 あなたは
 何かをしたがっているが、
 何かを為すことができる
 要素が欠けている。
 あなたは
 夢を見ることしかできない」

だからヴィシュヌは言う。
「私が無償で与えたものに
 行為で報いることほど
 むずかしいことはない」

ゲオルギー・グルジェフ
弟子たちに言っていたのは
そのことだ。
彼がP・D・ウスペンスキー
最初に言ったことは
それ、まさにそれだった。
ウスペンスキー
偉大な探求者、
知識の探求者だった。
はじめて
グルジェフに会いに行ったとき、
彼はすでに世界的に有名な
数学者、思想家だった。
彼が書いた最も優れた本
『テルティウム・オルガヌム
はすでに出版されていた。

それは類まれな本だ――
著者がまだ
覚醒していなかった
という意味でもまれだ。
こんなに美しい作品を
どうして書くことが
できたのだろう?
覚醒した人間にしか
わからないような誤りが
二、三あるが、
ふつうの人間なら
まず気づかない。
それはまるで
ブッダが書いたかのように、
ほとんど完璧だ。

だが、
ゲオルギー・グルジェフ
その本に目を通すと、
あちこちの頁を
ぱらぱらとめくって、
それを部屋の外へ投げ捨て、
こう言った。

「まったくのたわごとだ!
 君は何もわかっちゃいない!
 そもそも君はいないのだ。
 その君にどうして
 知ることができるだろう?
 人はまず
 存在しなければならない。
 そこではじめて人は
 知ることができるようになる」

ウスペンスキー
師(マスター)を探して
東洋をくまなく旅した人物だった。
これは美しい物語であり、
まるで寓話のようだ。

彼はインドを旅した。
彼はセイロンやビルマへ行った。
彼は僧院やヒマラヤの洞窟で
暮らしたことがある。
ラマやスワミや
たくさんのヒンドゥー教
神秘家に会ったが、
誰も彼を満足させることが
できなかった。
なぜか?
それは彼らが語ったことは
みな経典の焼き直しに過ぎず、
ウスペンスキー
すでに学んでいたことだからだ。
彼ら自身の言葉は
ひとつもなかった。
失意のうちに、
彼は帰途についた。

彼はロシアに、
かつて暮らした
ペテルブルグにもどってきた。
ペテルブルグのある喫茶店で、
彼はグルジェフに会った。
その最初の出会いのとき、
師のまなざしを見て、
ウスペンスキーは悟った。
「この男こそ
 私が捜していた人物だ。
 私はこの町にずっと暮らし、
 この喫茶店に
 何年も通いつづけてきたが、
 探し求めていた人が
 この喫茶店に坐っている!
 セイロン、
 ネパール、
 カシミールなど
 遥か遠くの場所で
 探しつづけていたのに」

グルジェフは、
まず
ウスペンスキーにこう言った。
「自分が存在しないかぎり、
 君はものごとを
 知ることができない。
 自分が存在しないかぎり、
 君はものごとを
 為すことができない」

ところがパラドックスは、
自分が存在しなくなってはじめて、
「私」という言葉が
通用しなくなってはじめて、
人は存在するようになる
というところにある。


Osho - The Secret Of Secrets