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「信心銘」by OSHO, 第七章、⑪

 
 “もし、ひとつの眼が眠らなければ、

 一切の夢は自ずから止む。

 もし、想いがどんな区別もしなければ、

 万物は、そのあるがままで、

 ただひとつの顕れになる。”


 そして あなたが ひとつになった時----。
いいかね、今は、あなた方には 二つの目がある。

その視界さえ二重に なっている。

イエスは弟子に言っている。
「もし、おまえたちが ひとつの眼になったら、すべては治まる」と。


 肉体の中では あらゆるものが 二つだ。
二つの目、二つの耳、二つの手、二本の脚、二つの腎臓、すべてが 二つだ。

それは肉体が 二元論だからだ。
あなた方の中に、一個で存在しているものは たったひとつしかない。それが目撃している眼だ。
それは 肉体の 一部ではない。

というのも、肉体の中のものは、常に 二つあるからだ。
すべてが 二つに、分かたれている。
肉体は、その ふたつの間の 両極性として存在している。



 頭(マインド)でさえ 二つだ。
人は 右脳と左脳という 別々の脳を持っている。

それらは 分かれている。
もし、その間の橋が 壊れたら、しかも、それは 時々 起こるのだが、その時は 人格の分裂が起こる。

誰かが 汽車から落ちて、右の脳と左の脳との間の橋が 壊れるとする----それは 極めて微妙な橋だ。

すると 人格は 二つに分かれる。
その人は もはや 一人ではない。
そうなると、その人は ある時は Aであり、ある時は B、またある時は、その両方だ。

彼が 何をしているのか、何が起こっているのか、人には 理解できない。
彼は 分裂したのだ。


 右利きの人は、自分の 左の脳を発達させている。
左利きの人は 右の脳を発達させている。

だから、左利きの人に、無理に 右手で仕事をさせれば、その人は 無用な困難を感ずることになる。
左の脳が、まったく発達していないからだ。
だから、字を書けば----。
まあ、試してみてごらん。

あなた方の中の 何人かは、左利きのはずだ。
というのも、自分で知っているか いないかはともかく、十パーセントの人間は 左利きだからだ。

世の中で 右利きの人間が優勢なために----何しろ 九十パーセントだからね----たくさんの子供たちが 絶えず右手で書くように強制されている。


 その子たちは 無用に苦しむ。
その子たちは、ただ そんなふうに強制されたばかりに、一生、低脳にされてしまう。

彼らは 右利きの人間に 太刀打ちできない。
左の脳が よく機能していないのだ。
だから、そちらの脳を使えば、どうしても うまくいかないことになる。

もし、あなたが 右利きだったら、左手で 字を書いてみてごらん。
小さな 子供みたいにしか書けないだろう。
なぜか。
その部分が、まるで小さな子供のように、未熟だからだ。


 脳でさえ 分かれている。
肉体の中では、すべてが 分かれている。
ひとつであるのは、ただひとつ 第三の眼、その目撃者だけだ。

それは ひとつだ。

もし、自分の内側で ひとつになりたければ、この 目撃している意識という 一点を探しなさい。

歩いていても、見守りなさい。

食べていても、見守りなさい。

眠りに入ろうとする間、眠りに 入って行く時、何が起こっているかを 見守っているのだ。


 遅かれ早かれ、いつの日か、あなたは突然 知ることになる。
肉体は 眠りに落ちているのに、自分が相変わらず 見守っていることを。

肉体は 眠りの中に 入って行く----少しずつ、少しずつ、少しずつ、ほとんど死んで行くように----しかも自分は まだ見守っている。

その時、思考(マインド)の夢が 剥がれて、落ちて、消えて行くのが 分かるだろう。

あなたは それでも見守っている。

すると 突然、あなたに、灯が ともっている----あなたは、その目撃している者に なったのだ。

 目撃とともに、夢は 消える。
そして、夢と一緒に あらゆる幻影、マーヤは消える。


…⑫に続く

「信心銘」by OSHO,
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所