「信心銘」by OSHO, 第七章、⑥

 
 なぜ、あなたは ある人が好きなのか。
どうして、ある物が好きなのか。

人間は ひとまず措いておこう。
あなたは、なぜ ある物が好きなのか。

物ですら、エゴの助けになる。
となりの人が 大きな車を買えば、あなたは、もっと大きな車を 買わなければならない。

それは 車の問題ではないからだ。
小さな車の方が、快適で、今の交通事情には合っており、厄介事は 少ないかも知れない。

大きな車は、面倒も多いし、高くて払い切れないほどだ。
それでも、
隣が 大きな車を買ったのなら、もっと大きな車を 買わなければならない。

あなたは そうしたい。
あなたは、なぜ そうしたいのか。

人の好みは すべてエゴから出ている。
大きな車には 権威がある。


 ある時、ムラ-ナスルディンが、社長室に 呼び出された。
社長は ひどく腹を立てていた。
ナスルディンを 絨毯の上に立たせて、こう言った。

 「ナスルディン、今度のは ひどすぎる。
君が 夕べ、会社のパーティが終わってから、手押し車を押して 街の目抜き通りを通ったことは分かっているんだ。
そんなことをすれば、会社の評判を落とすことくらい、君には分からないのかね」

ナスルディンは言った。

「そんなことは 考えもしませんでした。
だって 手押し車の上には、社長が 立っていたんですよ。
二人とも 酔っぱらっていたし、まさか評判が問題になるなんて、思いませんでした。
たとえ手押し車だって、社長が乗っているんですからね。
だから目抜き通りを 歩き回ったんですよ。
みんな楽しそうで、あんなに 喜んでいたじゃないですか」


 評判。
人は 酔っぱらった時にしか、評判を 忘れることをしない。
そんな時は 馬鹿げたことをする。

だが、それなら評判とは アルコールのようなものに違いない、 と 理解するのは素晴らしいことだ。

何しろ、酔っぱらっている時にしか それを忘れられないというのだから。
そうでない時は、人はいつも 評判だとか、尊敬だとか、品だとかに 気を取られている。


 人が 何かを好むのは、それが評判になるからだ。
それが 自分の評判を高めてくれるから、ある家がいいと思う。
その家は 便利ではないかも知れない、居心地も よくないかも知れない。

今時の家具を見てごらん、全然、 使い心地などよくない。
しかし、誰も家の中に 古い家具を持ちたがる者はいない。
今風のがいい。
古いのよりは 使い心地はよくないのだが、とにかく今風だ。

それは評判になる。
何であれ、評判になるようなものは、アルコールだ。
それは 人を酔わせる。
自分が 偉くなったような気がする。


 だが、どうして、こんなに 評判を求めるのか。

そしていいかね、権力を求めているかぎり、人は 決して真実には到達しない。
時には、やはり権力を求めて、神の扉を叩くことがある。
だがそれは、間違った扉を 叩いているのだ。

その扉へは、権力も、権力の追求も狂っている ということ、狂気だということに 完全に気がついた者しか 到達できない。


 人は、自分のエゴに応じて、好きだったり、嫌いだったりする。

エゴがなければ、どこに、好きだの 嫌いだのがあるだろうか。
そんなものは ただ消えてしまう。

自分自身に 寛いでいれば、好きだの嫌いだの、常に選択肢を創り出す 分割思考(マインド)を 決して持つことはない。
が、自我(エゴ)は決して 自分に寛げない。
絶えざる騒動の種だ。

何しろ、エゴは まわり中を気にしなければならず、そこには、何百万人という人がいるからだ。



 誰かが 大きな車を買った。
さあ、どうする。
誰かがどこかで、もっときれいな奧さんを見つけてきた。
さあ、どうする。
誰かが、自分よりきれいな目をしている。
さあ、どうする。
誰かは、もっと知的だ、もっとずる賢い、もっと 金持ちだ。

というわけで、まわりには 無数の人間がいるのに、その誰とも 競争している。

人は 気が違ってしまう。

こんなことは 不可能だ。

決して、満足を感じるような瞬間に到達することはできない。

どうやって、そんな瞬間が可能になるかね。

たとえ皇帝でも----。


…⑦に続く

「信心銘」by OSHO,
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所