saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答集「マイウェイ〔流れ行く白雲の道〕」

「The Way Of The White Clouds 」
バグワン-シュリ-ラジニーシ OSHO
訳者= マ-アナンド-ナルタン
発行者= スワミ-アナンド-シャンタン
発行= RPJ
発売= 株式会社めるくまーる社


Pp 100 ー 105
四日めの朝 (1974年5月13日 バグワン-シュリ-ラジニーシ)

「あなた自身が問題…」01

バグワンーーー

あなたは、私たちが 自我(エゴ)を落として 白雲と一体(ひとつ)になることが いかに易しいことかと話します。
また あなたは、私たちは すでに何百万生も生きてきて、その中の多くの生において、ブッダたちやクリシュナたち、キリストたちと一緒であったとも話してくれました。
ですが、私たちは依然 自我(エゴ)を あきらめきれないでいます。
あなたは私たちの中に 偽りの希望をつくりだしているのではありませんか?




希望は すべて偽りだーーー
希望するとは、虚偽の内にあるということ。

だからこれは、偽りの希望をつくりだすかどうかの問題ではなく、あなたがたが希望できることは 何であれ偽りだということだ。


希望とは
あなたがたの 存在の虚偽性から生じくるもの。
もしあなたが 真実(リアル)な存在だったら
希望の必要など いっさいない。
そのときには、未来について、これから何が起こるかについては まったく考えない。

あなたが あまりに真実(リアル)であり、真正であるゆえに、未来は消えてしまう。

あなたが 虚偽であるときには
そのときには 未来は非常に有意義になる。
そのときには あなたは 未来に生きるのだ。
そうなったら あなたの現実(リアル)は 今ここにはなく
夢の中のどこかにある…
そしてあなたは、その夢を真実のように見せかける。
なぜならあなたは
それらの夢を通して自分の現実(リアリティ)を獲得するからだ。


今あるがままのあなたは真実(リアル)ではない。
だからこそ、これほどまで希望をもちつづける。

希望は すべて偽りだ。
が、“ あ な た は ” 真実(リアル)だーーー
私の努力はすべて、いかにして
あ な た を あ な た自身に ぶ っ つ け る か に あ る!


そして自我(エゴ)とは
この偽りの希望を 全部一緒に合わせまとめたもの。
自我(エゴ)に 真実性(リアリティ)はない!

それは あなたがたの夢を すべて集めた集合体
非真実なるものすべて
偽りなるものすべての集合体だ。


エゴは “現在”には 存在できない。
この現実を よく見てごらん。
エゴは かならず過去か 未来の中にいる。

けっして 今、 こ こ には 存在できない。
絶対に だめだ。
そんなことは 不可能だ。
過去のことを考えるたびに、“私” が 入りこむ。
未来のことを考えるたびに、“私” が入りこむ。
だが
あなたが 今ここにあって、過去も未来も考えないときには、
あなたの “私”は どこにいる?
樹の下に坐り
過去も未来も考えることなく、ただそこに在る…と
あなたは どこにある?
あなたの中の “私”は どこにあるね?

あなたは それを感じられまい。
それは そこにはないーーー
自我(エゴ)は 現在の中には 存在したことがないのだ。



過去は もはやなく
未来は いまだ到っていない…
両方とも ここにはない。

過去は消え去り、未来は まだ現れていない…
両方とも ここにはないーーー在るのは現在だけ

そして現在の中には
エゴのようなものは 何も見つかりはしない。
となると、
エゴを落とせ と言う場合
私は 何を意味しているのかな?
私は あなたがたに 新しい希望を与えているのではない。
私は あなたがたの希望を すべて取り上げているのだ。
が、これはむつかしい…
というのも あなたがたは希望を通して生きているから
希望を 全部取り上げられたら
死んだような感じがしてしまう。

そうなったら 問いが出てくる。
なぜ生きる?
何のために…?
なぜ 瞬間から瞬間へと動く?
何の ために……?

希望の消失とともに ゴールもまた消えてしまった
だから、到達するところは もうどこにもないのに
なぜ 生きつづける?

希望なしに生きるなんて とてもできるものではないーーー
だからこそ エゴを落とすのが こんなにもむつかしいのだ。

希望が 人生と同義語になってしまっているのだから…



希望をいだいているときには
人は 常より活気に満ちて見える
生き生きして見える
非常に 力強く見える。

希望をもっていないときには 弱々しく憂うつそうだ。
あるがままの自分自身だけが とり残されて
何をどうしていいのか どこへ行っていいのかわからない。

希望がないときにはいつでも
あなたがたは 自分の中に 意味の喪失感を覚える。
そして たちまち また別の希望を創りだす。
代わりが創られる。
一つの希望が挫折すると
すぐにも別の希望が取って代わる。
なぜなら あなたがたは その間隙(ギャップ)の中で生きることはできないからだ。


希望なくしてあなたがたは 生きることはできない。
しかし あなたがたに言っておこう。
それこそ 唯一の生き方だと…
希望がなければ、〈生〉はリアルだ。
そのとき初めて〈生〉は 真正なものとなる。



したがって理解すべき 二つめのことは…
私が、自我(エゴ)を落とすことは易しいこと と言うときには
あなたがたににとって それが易しいという意味ではない。
私は、“ 自我を落とすことは易しい ” と 言っているだけだ。
なぜなら
自我(エゴ)という現象自体が あまりにも非現実的なものだからだ。

エゴが偽りであるのなら
それを落とすことが なんでむつかしかろう?

夢とは たんなる夢にすぎないのなら
そこから出てくることが なんでむつかしかろう?

もし現実(リアル)のものだったら
そのときには むつかしいことになっただろう。

夢が たんなる夢にすぎないなら
そこから出てくるのに どこに問題がある?

あなたは そこから出てこれる!
その夢は あなたを捉えることはできない。
その夢は あなたを妨げることはできない。
その夢は 障害物になることはできない。
夢には どんな力もないーーー
だからこそ 夢と呼ぶのだ。

夢の中から出てくるのは 易しいこと…
これこそ、自我(エゴ)を落とすのは簡単だ
と言うときに 私が意味することだ。

しかし、それが “ あなたがたにとって ” 簡単だ
とは 私は言ってはいない。

なぜなら、夢は あなたがたにとって 依然として現実(リアリティ)だからだ。
夢が 夢でなくなっているのだ。
あなたがたにとって 自我(エゴ)は虚偽ではない。
むしろ それが唯一の現実(リアリティ)だ。
ほかの すべてのほうが 偽りとしてある。



私たちは エゴの周りで生きている。
私たちは ますますエゴイスティックな旅を求めている。
ん? 或る者は 富を通して
或る者は 地位や権力を 威信を通して
或る者は 政治を通して
或る者は 宗教や聖職を通してーーー
何百万の人たちが その途上にある。
が、その目的、結果、行先は同じだ。
“私” を もっともっと求めること
自我(エゴ)を もっともっと求めること。

あなたがたにとっては それこそが現実(リアリティ)だ。
私は もう一度言う。
それこそ、あなたがたにとっての 唯一の現実(リアリティ)だと……
虚偽が本物(リアル)に なってしまった!
影が実体に なってしまった!

だからことはむつかしい。
エゴが強力だからむつかしいのではない。
いや そうではなく
あなたがたが依然として それを、その力を信じているからむつかしい。
信じこんでいたら それはむつかしいことになる。
というのは、一方で あなたがたは それを落としたいと思い、他方では それに執着しつづけるからだ。
これでは むつかしいことになる。



私が あなたがたに
これは夢だ、と 言うとき
あなたがたは それを信じたい。

なぜなら あなたがたは、それを通じて 充分すぎるほど苦しんできたからだ。

私の言っていることの 真実さを感じとったゆえに信じたいのではない。
もしあなたが、私の言っていることの 真実性を感じたら
自我(エゴ)など 即座に落とすだろう。
いかにして? などとは問わずに ただ落とす。

それに対する “ いかに?” など ありはしない。

その核心を見ることで あなたはすでに落としているーーー
が、あなたがたは
私の言っていることの 真実性を見ない。
エゴとは 偽りのもの、落とすことのできるものだということが理解されていないと私が言うとき
エゴとは落とせるものだと言うとき
あなたがたは そこに希望を見てしまう。
エゴのために あまりにも苦しんできたものだから
もしエゴが 落とすことのできるものなら、苦しみもまたすべて落とすことができるのではないか という希望をいだく。
そして この希望を得て大いに幸福になる。

私は そんな希望を創りだしているのではない。
希望を創りだしているのは あなたがたのほうだ。
私は ただ事実を述べているにすぎない。

これがエゴの構造だ、エゴは このようにつくられる…
そして、このように エゴは落とすことができる…
と 述べているだけだ。


偽りであるがゆえに 努力はいっさい必要ない。
その 正体を見るだけで、それは 消えてゆく。




「あなた自身が問題…」02に つづく