saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「十三日めの朝⚪神があなたを探している」01

01

   (質問)

「バグワン ーー

  昨日あなたは はっきりと、 私たちは 師(マスター)の言うことは ひと言も もらさず言葉どおり従う必要がある と 言われました。

ですが細かいことまで いちいちあなたに相談することはできません。

  頭(マインド)の中では いつも楽な道を 探している状態で、いったい どうしたら正しい道を選ぶことが できるのでしょう ? 」

 

 

 

  ほんとうの問題は 師(マスター)に 相談することではなく

どうしたら 瞑想的でありうるか ということだ。

なぜなら 師(マスター)の 肉体的側面は重要なことではないからだ。

 

あなたが もっと瞑想的で あったなら

あなたは いつであろうと 師(マスター)に相談できる。

師は べつに

物理的に そこに居なければならないということはない。

その物理的な臨在(プレゼンス)が 必要になるのは

あなたがたが 瞑想的でないからのこと。

  というのも

あなたがたは

自分自身を 自分の肉体と同化させているから、あなたがたの頭の中では、師(マスター)もまた その肉体で 存在が確認されているのだ。

 

あなたがたは 自分が肉体だと 思っているから

師(マスター)も また 肉体だと考える。

 

師(マスター)は 肉体ではない ーー ! 

師(マスター)は肉体ではない !  と 私が言うときに 私が意味することは、師は 時間と空間の中に 閉じ込められてはいない ということだ。

 

  これは 師の 目の前にいるかどうかの問題ではない。

あなたが どこにいようとも

もし あなたが 瞑想的であったなら

あなたは彼の 目の前に在ることになる。

たとえ 師(マスター)が死んでいても 彼に相談することはできる。

仏陀は 今日でさえ 依然 相談を受けている。

答えは依然 かえってきている。

が、これは 仏陀がどこかに坐って 答えている ということではない。

あなたが 深い瞑想の内にあるときには

あなたが ブッダ (覚者)なのだ。

あなたの 仏性が 湧き起こり

その  あ  な  た  の 仏性が答える ーー 

今や ブッダは もうどこにも閉じ込められてはいない。

ということは

盲目の者にとっては ブッダは どこにも見出だせないが

見える者に とっては どこにでもいる という意味をもつ。

 

  あなたは

たとえどこにいようが 自分の師(マスター)と 接触することができる。   その方法は

師(マスター)のところまで 出かけることではなく

自分の 内側に入って行くことだ。

自分自身の内側に 深く入っていけばいくほど

あなたは 師(マスター)の内に より深く浸透していくことになる。

 

  答が かえってくるだろう。

そして あなたは

それらの 解答は頭で考えて 出て来たものではないことを

知り 感じるようになるだろう。

それは まったく異なった質の ものだ。

その質的な変化は あまりにも完全だから

そこに 混乱などは ありえない。

 

頭(マインド)で 考えた答が 出て来るときには

あなたは  自  分  が 答えていると 感じる。

思考が いっさい無く、ただ瞑想的でいるときには

答は あなた自身から来るのではなく

誰か ほかの人から来るような感じをいだく。

  そ  れ  は  聞  こ  え  て  く  る  ! 

これこそ コーランの神秘だった。

モハメッドは それが聞こえてきた と思った ーー 

そして 彼は正しかった。

回教徒たちが もし〈神〉が 話したのだと思うとしたら

彼らは まちがっている。

モハメッドが 自分はコーランを  聞  い  た  と思うなら 彼は正しい。

回教徒たちが〈神〉が 語ったのだ と考えるなら

彼らは まちがっている。

誰も 語った者など いなかった。

  あなたの精神(マインド)が 静かに沈黙しているときには

あなたの存在の 非常な深みから 答が湧き上がってくる。

そして それは あまりに深く

あなたの いわゆる “ 精神(マインド) ” を超えた 彼方からやって来る。

だからこそ  “ 聞こえてくる ” ような 感じがするのだ。

それは あなたの許に やって来た

それは あなたに向かって顕わされた ーー 

 

  あなたがたは 常に 表面的なものに自分を同化させる

が、答は 非常な深みから やって来る。

あなたがたは 自分自身の深みを 知らない。

それゆえに あなたがたは

〈神〉が 答えているのだ と 感じる

師(マスター)が 答えているのだ と 感じる。

或る意味では あなたがたの感じは 正しい。

なぜなら、あなたがたの深みから 答がやって来るときには、それは 師(マスター)からでも あるからだ。

 

 

「01」おわり…「02」へ つづく

 

 

 

 

『マイ ウエイ』⚪流れ行く白雲の道

バグワン・シュリ・ラジニーシ

🔘質疑応答集

話者   バグワン・シュリ・ラジニーシ

翻訳   マ・アナンド・ナルタン

発行者   スワミ・アナンド・シャンタン

発行   RPJ

発売   株式会社 めるくまーる社