saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

マイウェイ「10日めの朝」OSHO : 04

Pp 276ー280
(… 人が犯しうる もっとも危険な罪は、覚醒を 見せかけることだ。
たとえ殺人を犯したとしても これほどに大きな罪とはならない。)

ほんとうには “殺人” ということはありえない。
せいぜい肉体を 破壊することができるだけで
霊魂は 別の肉体に入っていく。

一つのゲームが壊されるだけで
すぐさま別のゲームがはじまるのだ。
殺人者は それほど大罪人ではない。
だが
もしあなたが 目覚めてもいないのに そのふりをするとしたら
もしあなたが そうでもないのに導師のように見せかけるとしたら
あなたは大変な害を、無限の害をもたらすことになる。
ほかのどんな罪悪も較べようもないほどの害ーー
なぜなら他の人々は その見せかけ捉え
自分たちも見せかけはじめるからだ。
そして それは広がっていくーー

それはちょうど静かな湖面に石を投げるようなもの。
さざ波が起こって ずっと広がっていく。
一つの波が次の波を生じさせ、押し広げる。
そしてそれが岸にまで ずっとつづいていくーー

この意識の湖には岸は無い。
ひとたび波紋が生じたら、それは永遠に広がっていく。
それは ずっとずっとつづいていく。
たとえあなたがいなくなっても
あなたの見せかけ、その欺瞞はつづく。
そして 多くの人々がそれによって まどわされるだろう。


偽の導師(マスター)こそ 世界で最大の罪人だ。
だからこそ南院は〈覚醒〉に到っていないかぎり
誰にも出て教えることを許そうとしないのだ。
〈光明〉を得ていたら
その光りそのものが あなたの内部で燃え
他者もまた光を得るのを助ける。

あなたの内部で燃えるその火が他者を暖める!
あなたに起こった〈生命〉が
他者をしてその死に似た不毛さから抜け出るのを助ける。


しかし憶えておくがいい。
心すること、目覚め、あるいは意識的であること
これらが連続性をもつのは、そこに努力がなくなったときだけだ ということを。
はじめのうちは当然 努力がある。
そうでなかったら何もはじまらないだろう?

あなたは 努力する。
あなたは 心するよう努める。
あらゆる方法で あなたは意識的であろうとする。
が、
努力は 緊張をもたらす。
そして
努力すればするほど ますます緊張することになる。
ちょっとした “きらめき” の瞬間もあるだろうーーーが
その緊張のゆえに 歓喜(エクスタシー)は 取り逃がす。
だがこの状態もまた通過しなければならない。
この 努力の段階もーー

遅かれ早かれ あなたがたが気がつくことが一つある。
それは、努力すれば かならず自覚心は得られるが
その覚醒は 非常に “苦しんでいる覚醒” だ ということだ。
悪夢的ですらあるし、ひどく重たいーー
それは あなたの頭上に乗せられた岩のようだ。
それは 喜びあふれてはいない。
それは 軽やかではない。
それは 踊っていない。

この努力をしているあいだに
時折、あなたは 突然 目覚めることがある。
それは、あなたが 努力していないときには
その覚醒は 軽やかで、喜びにあふれ 踊っている、
歓喜(エクスタシー)に満ちている ということだ。
しかし
これが起こるのは 努力する人たちにだけ。
努力しているあいだ
時折ふと その努力が 止まるとき この“きらめき”が起こる。
そんなとき、 あなたは 気がつく。
努力を通しては 究極なるものは達成できないと
“ 努力無し” でいるときだけ それは起こるのだとーーーーーー


私のまわりにいる瞑想者の多くに それは起こっている。
彼らは来て こんなことを話すーー
朝とか夕方とか、瞑想中には 何も大したことは起こってこないのですーーーが、夜中に突然、あるいは午後 不意に
ただふつうに坐っていただけなのに 何かがはじまってくるのですーー
彼らは別に 特別には何もしていないのだ。

こういうことは起こる。
これは ちょうどこんな感じだ。
或る名前を、いつも何度も 簡単に思い出していたのに
ある日 忘れてしまう!
舌の先まで出かかっているのにーーーーーー

あなたは奮闘する。
あなたはそれを 意識の上に昇らせようと あらゆる努力をするーーが、出てこない。
努力すればするほど あなたはかえって途方にくれる。
そして
絶えずあなたは、“自分が知っていることを知っている”。
絶えずあなたは 自分が憶えていることを知っている。
それは ほんの近くに、ほんの角先まで来ている。
が、何かの障害、何か邪魔物がそこにあって
その名前が出てくるのを妨げているーーーーーー
それは大事な友人の名前であるかもしれないのだ!
そのうちに努力全体が不毛になり
あなたは 放り出すーー
あなたは行って新聞を読みはじめるか、煙草でも吸いはじめる、いやあるいは庭を散歩する。
それとも庭で土仕事をはじめるーー
と、突然
それが 浮かび上がる!
突如として名前が出てくる!
その友人がそこに立っている、その顔が見えるーー!

何が起こったのだろう?
一生懸命努力していたときには あなたはひどく緊張していた。
その緊張自体が 邪魔になっていた。
その 緊張自体が 通路をせばめていた。

名前のほうは 出てきたかったし
記憶のほうは 扉をノックしていた
が、その緊張が 閉鎖状態をつくっていた。
だからこそあなたは
舌の先まで 出かかっているのにと 感じていたのだ。
事実 それは出かかっていた!
ところがあなたは ひどく緊張していたために
そのことを 気にしすぎていたために
その名前を出そうと 切望しすぎていたために
その不安が 障害となっていた。

なぜなら気がかりでいっぱいの頭(マインド)は 閉じるからだ。

美しいもの 真実のものは
すべてあなたが
求めたり 気にしたりしていないときにのみ起こる。
愛すべきものすべては、あなたが
それを待ってさえいないときに 起こる
それを求めたり 要請したりしないときにのみ起こる。
そのときには 頭の中に障害が無い。
だから あなたが
もう すっかり忘れているときに それは起こるのだ。


努力は たしかに必要だよ。
最初は 努力はなくてはならぬもの。
不毛ではあるが、それでもなお なくてはならぬもの。
その不毛さには 少しずつ気がついてくるだろう。

あなたが きらめく一瞥を、突然の一瞥を得るとき
そして、自分は別に努力していなかったと感じるとき
そして、そのきらめきが あなたに降り注ぐとき
神からの贈りものーーーーーー

そのときには あなたは 努力を放り出せる。
と、努力を放り出すことで
ますます多くの贈りものがやってくるーー




マイウェイ「10日めの朝」 OSHO : 05 へ 続く