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第九章「これでもない、それでもない」05

(…それは この言葉のせいではなく、あなた方のせいだが。)

というのは、人は 仕方がないと感じた時にしか 受け容れないからだ。

いやいやながら受け容れる。
半身で受け容れる。
他に どうしようもない時にしか 受け容れない。

内心では、こうでなかったら嬉しかったが と、まだ思っているのだ。
人は 王者のようにではなく、乞食のように 受け容れる。
そして その違いは大きい。


 妻が いなくなれば、夫が いなくなれば、結局は それを受け容れることになる。
どうしようがあるかね。

人は 涙を流し、声まで出して泣く。
幾晩も くよくよ考え、気に病む。
数々の悪夢と 苦悩に 取り巻かれる。

それから どうする。
理解ではなく、時が癒してくれる。
時間だ。
が、いいかね、時間が かかるのは、ただ 理解していないからに過ぎない。
さもなければ 即時に癒しが起こる。

時間が必要なのは、人が 理解していないからだ。

だから そのうちに、六ヶ月、八ヶ月、一年と経つうちに 記憶は薄れ、失われて、厚い埃りに 覆われる。

いつの間にか 一年が 経っている。
そのうちに、忘れる。


 まだ、傷が 痛むこともある。
路上で 女の人に行き会ったりすると、突然、思い出す。
その女性の歩き方に どこか似た所があって、ふっと 妻のことが思い出される。
すると 傷が疼く。

それから 誰かと恋をする。
すると、もっと多くの 埃りが積もり、思い出すことは ずっと少なくなる。

しかし、その新しい女性と 一緒にいてさえ、時には、自分を見つめる その目つきで、昔の妻が 思い出される。

浴室で.歌っているのを聴いたりすると 昔の記憶が戻って来る。
すると、まだ 生々しい傷が そこにある。

 それで傷つくのは、自分が 過去を運んでいるからだ。
人は すべてを持ち運ぶ。
だから そんなに重くなっているのだ。

あなた方は すべてを持ち運んでいる。
あなたは 子供だった。
その子供は まだそこにいる。
あなたは それを運んでいる。

あなたは 若者だった。
その若者は まだそこにいる。
その傷と、経験と、愚かさの すべてを持って そこにいる。

人は自分の あらゆる過去を持ち運ぶ。
幾重もの層になって、すべてが そこにある。
時々 退行することがあるのは そのためなのだ。


 何かが起こって、自分には 何もできない と感じたら、子供のように 泣き始める。
時を 退行したのだ。
子供に なってしまった。

泣くことにかけては、自分より子供の方がうまい。
だから、子供が帰ってきて後を引き継ぎ、あなたは 泣きわめき始める。
まるで 子供が癇癪を起こしたように、地団駄さえ 踏み始めるかも知れない。

何もかも そこにある。


 なぜ こんなに たくさんの荷物を 持ち運んでいるのだろう。
それは、あなたが 本当には 何ひとつ受け容れなかったからなのだ。

いいかね、それがどんなものでも、あなたが 受け容れていたら、決して 荷物にはならない。

そうすれば、傷を運ぶこともない。

自分は その現象を 受け容れた。
そこから運び出すべきものなど 何もない。
それは 終わったのだ。

受け容れれば それは終わる。

半分いやいやに受け容れることによって、それは運び出される。

 ひとつ覚えておきなさい、
完了していないものは 何でも、思考(マインド)に よって いつまでもいつまでも 持ち運ばれる。


…⑥に続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所