saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

マイウェイ「10日めの朝」OSHO : 05

Pp 280 ー 283

東洋では ずっと信じられてきたことだが
ーーーそして 正しく信じられてきたことだがーーー
〈光明〉を得て覚醒するということは
偉業を成就するというようなことではない。
それは天からの恩恵のようなもの
それは贈りもの、プラサードだ。

〈神〉が あなたにそれを与えるーー
あなたのほうで それを〈神〉の手から ひったくるわけにはいかない。
西洋の求道者にとっては、このことに気づくのは きわめてむつかしいことだ。
なぜなら 西洋では この数世紀
人間の精神(マインド)指向は 全体的に
ものを強奪する方向に転換してきた。
あなたがたは大自然から あらゆるものを奪ってきた。
科学が どんな秘密を知っていようとも
それは与えられたものではない、強奪したものだ。
あなたがたは 暴力的に強制し
その神秘の扉をこじ開けてきた。

それに成功してきたために
あなたがたは〈神〉に対しても 同じことが起こりうると考えている。
が、それは 起こりえない、そんなことは不可能だ。
あなたは 天をアタックすることは “できないよ”!!
銃剣をかざして 天に入ることはできない。
あなたは〈神性〉に
その心(ハート)を あなたに向かってひらくよう強制はできない。
なぜなら 強制するときには あなたは閉じるからだ。
そしてそれが問題になるーー

あなたが何かを 無理強いするときには
かならず自分を閉ざす。
だが もし閉ざしていたら
〈神性〉は あなたに対して自らを顕わすことはできない。

あなたがたが 無理をせず
ただ白雲のように漂い徘徊していたら
どこに到達しようという どんな努力もせずーーーーーー
ーーー目的地(ゴール)が無いときには努力もまた無くなるーーー
何かを達成したいなどと 思っていないときには
緊張して固くなるということがない。

あなたが 今在るままで幸福なとき
あなたが 今在る世界のままで幸福なとき
あなたがものごとを 在るがままに受け容れるとき
あなたが 何一つ変えたいとは思わないとき
突然
あなたは 存在のまったく別の次元に運ばれていく。
その扉は 常にひらいていたのだと あなたは気づく。
閉ざされたことなど なかったのだとーー
閉ざすことなどできない!
神の神秘は常に あなたの近くにあったのだ
遠くになど行ったことはなかった。
遠くになど行きようがない
なぜなら あなたはその〈神性〉の 一部なのだから。
あなたが行くところどこでも、神秘はついて行く。


これは 求める探求するという問題ではない。
これは、沈黙し 受け容れて ゆるすかどうかの問題だ。


求めたら あなたは取り逃がす。
というのも “求める人” とは かならず暴力的だからだ。
探求したら それはあなたの許に やって来ない。
というのも 探求する精神(マインド)には先入観が ありすぎるからだ。
それは その場にいない。
それは けっして “今ここ” にいない。
それはいつも 未来のどこかにいる。
何かを発見したときにはーーーーーー
この探求が完成したときにはーーーーーー
求道が終りに到ったときにはーーーーーーというわけだ。

それは いつも終りのほうのどこかにいて “ここ” にはいない。
だが
〈神〉は “ここにいる ”ーー
だからあなたがたには どうしても出会えない。
求道者は けっして到達しないーー!
これは
求道者になってはならない ということではないよ。
最初はあなたも 求道者であらねばならない
それ以外に 方法はない。
初めは あなたも探求者であらねばならない。
探し求め あらゆる努力を しなければならない。

あらゆる努力を重ね 狂わんばかりの求道者になることで
あなたは はじめて気がつくことができる。

それが起こるのは、あなたが何も求めない境地(マインド)に あるときだけだとーー

ときに休んでいるときに、それは来る。
ときには眠っているときに、それは降りて来る。
ときには路を歩いているだけで、それはそこに在る。
ときには明け方 陽の昇るのを見ているだけ
何もせず ただ見ているだけ
受動的な覚醒の内(なか)にいるーーーーーー
ただ陽が昇るのを見ているーーーーーー
あるいは
寒夜、湖水の上を
月の光が かすかにゆらめくのを見ている
また、花が つぼみをひらくのを見ている

ただ受け身の目覚めの内に在るーーーーーー
ただ 見ているだけ
ーーーなぜなら あなたの側では 何もする必要はないからだ。
花がひらくとき
あなたの助けは まったく必要ない。



花がひらくのを助けようとする愚かな人々がいたら
彼らは 花の美しさ全体を破壊するだけだ。
それに
花は実際に けっしてひらきはしない。
たとえ無理強いして ひらかせようとしたとて
それは閉ざされたままだろう。
開花は起こらない!
それは強制されたもの。
どんなものでも強制されたとしたら開花はしない。


太陽が昇るのに あなたの助けは要らない。
助けが必要だと考える人々がいるーー
こういう人たちは 多大な害をもたらす、たいへん災いをもたらす。
なぜなら彼らは どこにいても自分の助けが必要だと考えるからだ。


現実の 生の内にあっては
〈現実(リアリティ)〉が 起こるところは それがどこであれ 誰の助けも必要ない。

しかし 助けたい という誘惑に抗うのはたいへん困難だ。
というのも 助けるということで、あなたがたは 自分が何かをしているような気になるからだ。

何かをする というときには、あなたがたは自我(エゴ)をつくる。

何もしない ときには 自我(エゴ)は 存在のしようがない。

無為の瞬間には 自我(エゴ)は 消える。



太陽が昇るのを見ながら
花がひらくのを見ながら
冷え冷えとした湖面にゆらめく月を見ながら
何も することなくーーーーーー
と、突然
それ は あなたの上に 降りて来る。
あなたは〈実在〉全体が 神性に満たされているのを知る。
あなたの呼吸 一つ一つまでが神性であることを知る。


努力して、努力の無いところに到達するがいい。
求めることで、探求の無い状態に達するがいい。
思考(マインド)を通して、無思考の境地に到るがいい。



マイウェイ「10日めの朝」OSHO:06 へ 続く