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「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答集「七日めの朝 --- 04 」by OSHO

(…あなたがたの愛の中には かならず怖れがある。
夫は 妻を 怖れ、妻は 夫を怖れている。
恋人たちには いつも怖れがある。
それなら それは 愛ではない。
それならそれは ただの取り決めにすぎない…)

たがいに依存し合い、闘い、搾取し合い、操作しコントロールし合い、支配し所有し合っている怖れにみちた 二人の人間のあいだの取り決めーーー
それは 愛ではない。

もしあなたが 愛の起きるのをゆるせたら
祈りの必要は まったくなくなる。
瞑想の必要は まったくなくなる。
教会や寺院の必要は まったくなくなる。
もし愛することができたら
あなたは〈神〉のことなど まったく忘れられる。
なぜなら、愛を通じて
あらゆることが あなたに起こるからだ。
瞑想、祈り、神------
“ すべて ”が あなたに起こることだろう。

これこそイエス
“ 神は愛なり ” と言うときに意味したことだ。

しかし、愛は むつかしい。
怖れを まず落とさなければならない。

ところが これはなんとも奇妙なこと------、つまり
あなたがたは そんなに怖れてはいるものの
失うものは 何も無いのだ。


カビールが どこかでこう言っているーーー
私は 人々を内側まで見る
彼らはひどく怖れているが、私には なぜだかわからない
というのも彼らには 失うものは何も無いからだ。
カビールは言う。
彼らは、川に行って沐浴するのを怖れている 裸の人のようだ。
その人は、衣服をどこで乾かそうかと苦にしている------

これは あなたがたの陥っている状況だね
裸で、何も身にまとっていないのに
いつもいつも衣服のことを気にしているーーー


失うような いったい 何をあなたがたは持っているというのだね?
何も無い!
この肉体は 死によって 取り上げられる。
死が それを持ち去る前に
それに 愛を与えるがいい。
あなたが持っているものは 何であれ 取り上げられる。
取り上げられる前に、わかち合ったらどうかね?

それが “ 所有するための唯一 ”の 方法だ。
もし あなたに わかち合い、与えることが できたら
あなたは主人(マスター)だ。
あらゆるものは いずれ取り上げられる。
永遠に 保持できるものなど 何もない。
死は すべてを破壊するーーー

だから
もしあなたが まちがわず私の後についてきたら
葛藤は 死と愛のあいだにあることを知るだろう。

もしあなたに 与えることができたら、死はなくなる。
あなたから取り上げられる前に、あなたはすでに それを与えている。
あなたはそれを 贈り物にしたのだ------
そこには 死は無い。


愛する者にとっては 死は無い。
愛のない者には、一瞬ごとが死だ。
なぜなら、一瞬一瞬
何かが 彼(彼女)から奪い取られているからだ。
肉体は 消えつつある
一瞬ごとに 失われつつある。
そしてそうなったら死があらわれ
あらゆるものが 消滅してしまう。


恐怖は何なのだ
あなたは 何を怖れているのだ?
たとえあなたに関することは何でも知られていて
あなたは一冊のひらかれた本だとしても
それでも怖れるかね? なぜ?
どうして そのことが あなたに害を及ぼせよう。
それは まちがった捉え方だ。
社会によって与えられる教育、条件づけだ。
隠さなければならない
自分を護らなければならない
常に闘志を燃やしていなければならない
あらゆる人が敵だ
あらゆる人が あなたに反対している------

誰も あなたに反対している人などいない!

誰かが反対していると感じたとしても、それはその人が
あなたに 反対しているからではない。

誰も皆、自分自身のことに関わっているからだ。
あなたのことではない。

怖れるものは 何もない。
このことに 気がつかなければ、真の関係は 起こりえない
怖れるものは 何もないと------

このことに 瞑想してごらん。

それから 他者が あなたの内に入るのをゆるすのだ。
あなたの内部に入るよう 他者を招待するがいい。

そして どこにも障害をつくらないこと。
通路になりなさい
いつも 開放していることだ。
あなたの上には鍵もなければ扉もない。
閉ざされた扉は 一つもない。

そうなったら 愛は可能だーーー


二つの中心が出会うとき、 そこに 愛がある。
そして 愛とは、錬金術的な現象だ。




質疑応答集「七日めの朝 --- 05」by OSHO へ 続く