saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「友人のFB投稿記事---」

(…ソクラテスの 場合---)
 
人は死を
外側からしか見ない。
あなたは他の誰かが
死んでゆく姿は目にしても、
自分自身が死んでゆくのを
見たことはない。
誰も自分自身が
死ぬのを見た者はいない。

ソクラテス
毒を盛られたとき、
胸をときめかせていた。
弟子たちが
涙を流して悲しんでいると、
彼は言った。

「悲しんではいけない。
 まもなく
 私は逝ってしまう。
 そうしたら
 心ゆくまで
 悲しむがいい。
 今は、
 私に起こっている
 この大いなる実験を
 見るがいい。

 私は死というものに
 ひじょうに
 興味をそそられている―
 私はほんとうに
 死ぬのかどうか。
 この機会を
 逃してはならない。
 私のまわりに坐って
 見守りなさい」

師は
みずからの生を通して
教えるだけでなく、
みずからの死を通しても教える。
師はあらゆる機会を使う―
弟子に教えるためには
みずからの死さえも使う。

彼が大きな声を出し、
ひどく腹を立てながら
「涙を流したり、
 悲しむのはやめて、
 近くに来るのだ!
 この機会を
 逃してはならない!」
と言ったので、
弟子たちは目を向けた。
すると
ソクラテスは言った。

「待ちなさい、
 毒がまわってきつつある。
 さあ、
 私の内側で何が起こっているか
 話してあげよう。
 そうすれば、
 おまえたちも
 目に見えないものに
 気づくことができるだろう」

さらに彼は続けた。
「膝から下は死んでしまった。
 だが、
 私自身は少しも変わらず、
 前と同じように
 何も損なわれていない」

さらに彼は続けた。
「脚全体が死んでしまった。
 腰から下は何も感じない」

彼は弟子に足に触って、
つねってみるように言ったが、
何も感じることができなかった。

彼は言った。
「感覚がないのは、
 私の身体の半分が
 死んでしまったということだ。
 だが、
 私は今まで通り
 まったく損なわれていない。
 内なる感覚は、
 半死半生といった感じではない。
 私は今まで通り生きている!
 身体の半分が死んでしまったが、
 私の実存は影響を受けていない」

やがてゆっくりと
手が死にはじめ、
呼吸が止まりはじめると、
彼は最後の言葉を語った。
彼は言った。

「だんだん
 舌がまわらなくなってきたので、
 もうしゃべれない。
 だが、
 最後に
 言っておきたいことがある。

 身体のほとんど9割が
 死んでしまったが、
 私は十全に生きている。
 これから察するに、
 おそらく
 身体が死んでしまっても、
 私は生きているだろう。

 身体の9割が
 死んでしまっても、
 私は今まで通り
 何も損なわれていないからだ。
 だから最後の1割が
 死んでしまっても……。
 おまえたちは私の内側で
 何が起こっているのか
 見ることができないが、
 私は見ることができる」

ソクラテスは、
ギリシャの他の哲学者のような
凡庸な哲学者ではない。
彼の弟子のプラトン
アリストテレスでさえ……
アリストテレスは、
実のところ、
弟子ではなく敵だ。
彼はソクラテス
まったく理解していない。
彼が提唱したものは
完全にソクラテスに反している。

ソクラテスは神秘家だ。
彼の哲学は探求の方法にすぎない―
それは実に鋭い探求だ。
彼は死でさえもはずさない。
彼は死のなかを探ってゆく。
最後の瞬間まで、
彼はみずからの
探求の方法に忠実だった。

死は外側からしか
見ることができない。
あなたは他の人々が
死んでゆくのを目にする。
だが、
生きているというのは別のことだ。
生は内側から見ることができる。
生きていれば苦痛や快楽を覚え、
愛したり、
恐怖を抱いたりすることがある。
生きていれば
創造することができる―
ないものを考え出し、
それに形を与えることができる。

創造的な人が
もっぱら生の高次の姿を
知ってゆくのはそのためだ。
なぜなら、
創造するとき、
人はみずからのエネルギーを
最大限に発揮するからだ。
創造するとき、
人は神の一部になっている。

どうして人が
それを為しうるのかは神秘だ。
どうして人が
存在しうるのかは神秘だ。
結果には
すべて原因があるにちがいない。
私たちが
「因果の法則」と呼んでいるのは
まさにそれだ―
私たちはそう教えられてきた。
だが、
私を今ここにあらしめている原因を
私は見つけることができない。

私は奇蹟に運ばれているのを
自覚している。
私の理性は
私によくつくしてくれるが、
私という
存在(ビーイング)の神秘の前では
色を失う。
理性そのものが
この神秘の道具なのだ。
理性が神秘を知りえないのは
そのためだ。

あなたは
内側を見なければならない。
生が何であるかを見るには、
まず内側からそれを
感じ取らなければならない。
そして生を感じ取るための
最良の方法は
創造的になることだ。
そうすれば
最大限の力が
発揮されるからだ。

Osho - The Secret Of Secrets