saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

落ちるのは熟れた果実だけ------05

(…ものにはすべて、成長のため成熟のための 大地に落ちて 溶け消えゆくための時がある。
自我(エゴ)にも自分の時がある。
それは成熟することが必要だ。)


だから エゴイストであることを 怖れることはない。
あなたは すでにそうなのだからーー!

そうでなかったら、あなたはもう とうの昔に 消えていたことだろう。
存在できなかったはずだーーーーーー
それが〈生〉の仕組み(メカニズム)だ。 つまり
あなたは エゴイストで あらねばならない
あなたは 自分の道を 闘い取らねばならない
あなたは 自分のまわりの 限りない欲望の数々と 闘わなければならない
あなたは 奮闘しーーーーーー、そして
生き延びていかねばならないーー



自我(エゴ)とは 生存のための手段
もし自我(エゴ)を もたずして生まれてくる子供がいたら
彼(彼女)は 死んでしまうだろう。
生き延びることはできない。
不可能だ。
というのも、たとえ空腹を感じても
“ 自分は空腹だ ” とは 感じないからだ。
空腹感がある とは感じても、それを自分自身とは関連づけないからだ。


空腹を感じる瞬間
子供は、 “自分” は お腹を空かせている と感じる。
そして泣きだしたりして 食べさせてもらおうと努力する。
子供は 自分の自我(エゴ)の成長を通じて成長する!

したがって 私にとっては
自我(エゴ)とは 自然の成長の一部である。
しかし
それは、あなたがたが永遠に それとともにあらなければならない という意味ではない。

それは一つの 自然な成長だーー、ということは
それが落ちなければならなくなるような 二番めの段階がある ということだ。

それもまた 自然なこと。

だが 二番めの段階には、一番めが その絶頂に、クライマックスに達したとき、 一番めが その頂点に到ったときに はじめて進むことができる。


したがって 私は 両方を教える。
私は “自我” を教え “無我” を教える。


まず エゴイストになりなさい。
完璧な エゴイストに
絶対無比な エゴイストになるがいい。
あたかも
〈実在〉全体が あなたのためにあるかのように
あなたが その中心であるかのように
夜空の星すべてが あなたのまわりを めぐるかのように
太陽は あなたのために昇るかのように
あらゆるものが あなたのために存在するかのようにーー
すべて あなたがここに在るための手伝いをしているのだ。

中心であるがいい、怖れてはならない。
怖れたら、そのときには 絶対 熟さなくなるからだ。
受け容れなさい!
それも 成長の一部。
そして それを楽しむがいい
頂点(ピーク)にまで もっていくがいい。
頂点にまで至ると
突然 あなたは 自分が中心ではないことに気づくーー
これは誤信だった
これは 子供っぽい捉え方だったとーーーーーー
しかし、あなたは実際 子供だったのだ、だから別に そのことにおかしな点はない。

今では あなたは成熟した
今ではあなたは自分が中心ではないことがわかる。
ほんとうに
自分が中心でないことが わかるときには
あなたは〈実在〉には中心(センター)など無いことも また知る
いや、あらゆるものが その中心であると 知るーー
〈実在〉には 中心など まったく無く、一つの全一性(トータリティ)として存在している、コントロールセンター的な中心など いっさい無い〈全体〉として存在しているーーーーーーか
あるいは、原子(アトム) 一つ一つが中心として在るーーーーーーか
その どちらかだ。



ヤコブベーメ(ドイツの神秘家)は こう言っている。
世界全体は中心でいっぱいだ、原子(アトム)の 一つ一つが中心になっていて、周囲というものなど存在しない。
あらゆるところが中心で、周囲というのはどこにもない。


この二つが 可能性だ。
両方とも 同じ意味のこと。
言葉づかいが 異なっていて矛盾しているだけだ。
しかし
まず 一つの中心になりなさい。
これは ちょうどこんな感じのことだーー
あなたは 夢を見ているーーーーーー
頂点(ピーク)にまでくると その夢は破られる。
それは いつもそうだ。

夢がクライマックスに至ると かならず破られる。

では夢のクライマックスとは 何だろう?

夢のクライマックスとは、これは現実だ という感覚だ。
あなたは、これは現実(リアル)だ、夢ではないと感じ
そのまま どんどんどんどん進行して 頂点にまで至る。
と、その夢は “ほとんど” 現実と同じになる。

実際 現実になるわけではない、“ほとんど” 同じなのだ。
それは、もうこれ以上は行けない というまで現実(リアリティ)に 近づいてくる。
もう一歩で その夢は現実になる という点ーーーーーー
が、それは 現実には なりえない
それは あくまで夢なのだ!
しかし それが そこまで現実に近づくと
眠りは破られ、夢は 粉々になるーー
あなたは すっかり 目を覚ます。


同じことが あらゆるタイプの誤謬に関して起こる。
自我(エゴ) というのは 最大の夢だ。
それにはそれの美しさがあり、苦悶が ある。
それにはそれの陶酔(エクスタシィ)があり、苦悶がある。

それにはそれの天国と地獄があるーーーーーー
両方とも そこに在る。

夢は ときには美しく、ときには悪夢となる。
だが 両方とも 夢なのだーー

だから私は、あなたがたに
その時が来ないのに 夢から出てこいとは言わないよ。
いや、その時が来る以前には けっして何もしないがいい。
ものごとを成長させなさい。
ものごとが 自身のその時を持つのをゆるしなさい。
すべてが 自然に起こっていくようにーーーーーー

自我(エゴ)は たしかに落ちる
それはまた 自発的に落ちうるものだ。
もしあなたが それが成長することをゆるしさえしたら
それが成長するのを助けさえしたら
そのときには それを “落とす” 必要は まったくない。


このことは きわめて深い奥行きがある。
なぜなら、もし “あなた” が 落とすとしたら
自我(エゴ)は 内側に とどまって残るからだ。



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