saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「内なる宇宙の発見」by OSHO

(5️⃣)Pp249 ー 252
(…それは真実であるかもしれないし、真実ではないかもしれない。実際は そのどちらでもない。ただの方便だ。)

私は 外にある花々を見たことがある。
朝 、太陽は昇り、すべては じつに美しい。

ところが あなたは 一度も外へ出たことがない、
一度も 花々を 見たことがない、一度も 朝の太陽を見たことがない。
一度も 大空を見たことがない。
あなたは 美というものを知らない。

ずっと 閉ざされた牢獄の中に住んできた。

私は あなたを外に連れ出したい。
外に出て 大空のもとで花々とまみえてほしい。

そのためには、私は なにをしたらいいだろう。


あなたは花々を 知らない。
もし私が 花々について語れば、きっとあなたは考える
「あの男は 気が狂っている。 花なんかどこにもない」。

もし私が 朝の太陽について語れば、きっとあなたは考える。
「あの男は 夢想家だ。 幻影や夢を見ている。 彼は詩人だ」。
もし私が 大空について語れば、きっと あなたは 笑うだろう。
きっとあなたは 笑いだす。
「いったいどこに大空がある。 あるのは ただ壁また壁だ」


では どうしたらいいか。
私に 必要なのは、あなたに理解できるような方便、あなたを 外へ連れ出すための方便を考え出すことだ。

だから私は「家が 火事だ」と言う、そして 逃げ出す。
それが伝染していく。
あなたは 私の後を追いかけ、外へ出る。

そうして始めて あなたは わかるだろう。
私の言ったことは 本当でも 嘘でもなかった。
ただの 方便だった。

あなたは花々を知り、私を許してくれる。


ブッダは それをしていた。
マハヴィーラも それをしていた。
シヴァも それをしていた。

シャンカラも それをしていた。

我々は 後になって 方便を許す。

我々は いつもそれを許してきた。
いったん外へ出ると、彼らの していたことがわかるからだ。

だいたい それは 議論するような問題ではなかった、だから 議論するのは無意味だ。


火事は どこにもなかった。

だが我々には 言葉しか理解できなかった。

花々はあった。
だが 我々には花々の言葉が理解できなかった。

そういった象徴は 我々にとって無意味だった。


これが第一の方法だ。
その対極に 第二の方法がある。

第一の方法は 一方の極となり、第二の方法は 同じ物の もう一方の極となる。

一方は「すべては夢だ」と 感じ、想起することから始まる。

他方は、世界については なにも考えずに、ただ「自分は在る」と ひたすら想起する。


グルジェフは この第二の方法を用いた。
この第二の方法は スーフィーの伝統に由来する。
スーフィーは この方法に 深く通じていた。


なにをしていようとも、「私は在る」と 想起する。
水を飲んでいるときも、物を食べているときも「私は在る」と想起する。

食べながら「私は在る、私は在る」と想起し続ける。
忘れずにだ!

だが それは 難しい。
とかくあなたは こう考えがちだーーー「私は在る」なんて とっくに知っている、そんなものを想起する必要がどこにあるーーー。

あなたは けっして それを想起しようとしない。

だが、これは非常な可能性を秘めた技法だ。


歩いているとき「私は在る」と想起してみる。
歩いたまま、歩き続けながら、つねにこの自己想起「私は 在る、私は 在る、私は 在る」を 続ける。

それを 忘れてはいけない。

私の話を聴いている今、やってごらん。
私の話を 聴きながらも、あまり巻き込まれたり、没入したり、同化したりしない。

私が なにを言おうと、想起する。
想起し続ける。
「聴くこと」はそこにある、言葉はそこにある、誰かがしゃべっている。
だが ひたすら、「私は在る、私は在る、私は在る」。

この「私は在る」によって、つねに 覚醒を保つようにする。


これは 非常に難しい。
たとえ 一分間でさえ、あなたは 継続的に想起していられない。

試しに 時計を 目の前に置いて、針の動きを 見つめてごらん。
一秒、二秒、三秒------ずっと見つめ続ける。

そして ふたつのことをする。

秒針を 見つめながら、絶えず「私は在る、私は在る」と 想起する。

ひとつごとに「私は 在る」と想起し続ける。

きっと突然 気づくだろうーーー「何秒も過ぎたが『私は在る』と想起していなかった」と。


一分間 完全に 想起し続けることでさえ奇跡だ。

もし 一分間 想起していられたら、この技法は あなたに向いている。
そうしたら この技法を行うといい。この技法によって、きっと 夢を超えることが可能になり、夢は夢だと 知ることが可能になる。

この技法は どのように働くのか。


もし 一日中「私は 在る」と 想起できたら、その想起は 眠りさえも貫く。


(6️⃣) へ 続く