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…瞑想「正しい状況 & 正しい空間」OSHO

…友人のFB投稿記事です。



この静かな境地に
入っているときには、
正しい状況と
正しい空間を
つくらなければならない。

言うまでもないことだ。
薔薇の園を
つくろうとしているなら、
土をそっくり
入れ替えなければならない。
石を取り除き、
古い根を取り除き、
雑草を
取り除かなければならない。
あなたは外界から守られた、
新しい状況と
新しい空間を
つくりださなければならない。
あなたは周囲に柵を
設けなければならない。
薔薇を栽培するつもりなら、
こうしたことを
すべて整える必要がある。

瞑想は薔薇、
最もすばらしい薔薇、
人間意識の薔薇だ。
この書物
『黄金の華、
 黄金の薔薇の秘密』
と呼ばれているのは
そのためだ。
正しい状況とは何だろう?
正しい空間とは何だろう?

世事の只なかで
坐ってはいけない。

瞑想が深まる場所を
見いださなければならない。
例えば、
映画館に行って
最前列に坐ったり、
駅に行って
プラットホームに坐るよりも、
樹の下に坐るほうが
助けになる。

いまだに
タオがあたり一面に流れ、
その波動を放ち、
脈打ち、
ほとばしっている大自然、
山々のなか、
樹々のもと、
川のそばへ
出かけていったほうがいい。

樹は
絶えざる瞑想のなかにある。
樹の瞑想は静かであり、
無意識だ。
私は樹になりなさいと
言っているのではない。
あなたはブッダ
ならなければいけない!

だが、
ブッダと樹には
共通点がひとつある。
彼は樹のように青々と繁り、
樹のように樹液に富み、
樹のように祝っている。

もちろん、
違いもある――
ブッダには意識があるが、
樹は無意識だ。
樹は無意識な状態で
タオのなかにあり、
ブッダは意識とともに
タオのなかにある。
だが、
その違いは大きい。
天と地ほどの差がある。

だが、
樹のそばで坐っていると、
まわりで
美しい鳥たちが歌い、
孔雀が舞い踊り、
流れる川のせせらぎが
聞こえてくる。
あるいは
滝のそばで坐っていると、
そのすばらしい音楽が
聞こえてくる。

自然がまだ乱されず、
汚されていない場所を
見つけなさい。
そういう場所が
見つからなければ、
戸を閉めて、
部屋のなかで坐りなさい。
もしそれができるなら、
瞑想だけをする部屋を
用意するといい。
ほんの片隅でいいから、
瞑想だけに使うようにする。

専用にするのは、
どんな種類の行為も
独自の波動を放つからだ。
そこで瞑想だけをすれば、
その場所は瞑想的になる。
毎日瞑想をするたびに、
その場所は
あなたの瞑想の波動を
吸収する。
翌日部屋に入ると、
その波動があなたに
返ってくるようになる。
それは助けになる。
それはもどってくる。
それが応えてくれる。

寺院、教会、
モスクの背景には
そのような着想がある。
その着想はすばらしい。
みんなが
祈りや瞑想に使う部屋を
個別にもつことは
できないかもしれないが、
村で専用の部屋を
設けることならできる――
人がたむろせず、
俗事が行なわれることのない、
川岸の樹々に囲まれた寺院。
瞑想がしたくなれば、
その寺院にゆけばいい。
そして
寺院にいる人の
邪魔をしてはいけないことを
みんなわきまえている。

聖地とは
瞑想にふさわしい条件を
満たした
空間に他ならない。

激しい怒りを
感じているなら、
それは瞑想に
ふさわしい時ではない。
それでは
流れに逆らうことになる。
ひじょうに貪欲に
なっているなら、
それは瞑想に
ふさわしい時ではない。
なかなか瞑想に
入れないだろう。

だが、
簡単に
瞑想に入ってゆける
瞬間がある。

太陽が昇ってゆく。
日の出を見ていると、
突然、
内側が
ひっそりと静まり返り、
まだあなたは
騒がしい街の一部ではない――
これこそ
瞑想にふさわしい時だ。

今日は気分がよく、
健やかで、
誰とも言い争いをしていない――
これこそ
瞑想にふさわしい時だ。

友達がやってきて、
あなたは
愛に満たされている――
これこそ
瞑想にふさわしい時だ。

あなたは
恋人とともにいて、
二人は
このうえもなく幸せだ――
一緒に坐って瞑想するがいい。
恋人や友人と一緒に
瞑想することができたら、
あなたは
人生で最大の喜びが
生まれているのを
見いだすだろう。

正しい状況を
見いだせない者など
ひとりもいない。
二十四時間のうちには、
たやすく
瞑想に変容できる瞬間が
何度も訪れる。
そういった瞬間には、
あなたは自然に
内側に
入ってゆきつつあるからだ。

満天の星空の夜、
大地に身を横たえ、
星を眺め、調和を感じ……
そして瞑想するがいい。


Osho - The Secret Of Secrets