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第九章「これでもない、それでもない」13

 
 “この「不二」の中で、何ひとつ分離されるものもなく、

 また排除されるものもない。

 時と所は問題ではない。

 光明を得るとは、この真実相に入ることだ。”



 「不二」の真理。
光明を得るとは、この「不二」の真理に 入ることだ。

できるだけ多く それ を吟味し、できるだけ多く それ を感じ続けなさい。

二十四時間の中には そのための機会が、いくらでも、いくらでも、いくらでも---無限にある。

その機会を 逃がすことはない。


 自分が 内側に 何かの緊張を感じたらいつでも、あらゆる機会を逃さず「二ではない」と言って、全身を緩めるのだ。

そして自分が「二ではない」と言った時、内側で 何が起こるかを見ていなさい。

どんなマントラも これほど深くはなり得ない。
これは「オーム」とか「ラム」を復唱することとは違う。
いいや、「ラム ラム ラム」を繰り返すのと 同じではない。


 自分が 二つに分かれる時があったら いつでも、今にも自分が 分かれそうに感じたらいつでも、今にも自分が 選択をしそうになったら、いま自分は あれよりこれを 選んでいるな、あれが厭で これが いいんだなと思ったらいつでも、機会が来て 緊張が起こるのを感じたらいつでも、緊張が高まって行くのを感じたらいつでも、出し抜けに、「二ではない」と 言うのだ。

と、その緊張が緩む。

そして、そのエネルギーが 再び吸収される。

その吸収されたエネルギーが 至福になるのだ。


 人が 内なるエネルギーに 働きかけるには、二つの方法がある。

ひとつは、緊張が起こったらいつでも、それを 解き放つ方法だ。

それが セックスのやり方だ。
それは 安全装置だ。

なぜなら エネルギーは、人が まさに爆発するほど、それで死んでしまうほど、蓄積することも あり得るからだ。

だから、まさに安全のために、自然は肉体の中に 自動安全装置を 作ってある。

エネルギーが溜まりすぎると いつでも、人は 性的な感じを持ち始める。


 何が起こっているのか。
ヒンドウー教徒が 第三の眼と 呼び習わしてきた ひとつの機能中枢(センター)がある。

エネルギーが この第三の眼に達すると いつでも、エネルギーが溜まり過ぎ、人が それで一杯になるといつでも、そのエネルギーは 第三の眼を打ち、人は 何かしなければならない感じになる。

この第三の眼を ヒンドウー教徒は アジュナ-チャクラ、命令中枢、指令中枢と 呼んできた。

肉体が様々の命令を 受け取る事務所だ。


 第三の眼のセンターに達するほど エネルギーが一杯になるといつでも、肉体は 何かをすべきだ と感ずる。

何もしなければ 息が詰まって来る。
まるで、トンネルに入って、抜け出したい というような、締めつけられたような感じになる。

すぐにも何か しなければならない。


 自然は 既製のプロセスを 組み込んである。
ただちに 第三の眼のセンターは 性中枢(セックス・センター)を打ち、二つは結合し、人は 性的な気分になる。

この性的な気分こそ まさに、エネルギーを解放するための準備だ。

愛を交わし、エネルギーが 投げ出され、人は 寛ぎ、緩む。

これが 自分のエネルギーを使う ひとつの方法だ。
解き放つことによって 幸福になる。


 エネルギーを使うのに もうひとつの方法がある。


…14に 続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) 禅文化研究所