第八章「濃紫に染められた野辺」(13)

…( 無こそ ご馳走中のご馳走。
これ以上のものは もてなそうとしてもできない。
これこそ最後のご馳走、〈実在〉自身の 最後の味だ。
それは、 あたかも 神そのものを食べたかのような、ご馳走のなかの ご馳走。 )


“ 深く 心動かされた禅師が言った
そなた 多くを学んできたものよ------ ”


ここの学ぶは 知識のことではない。
禅では、学ぶことと知識は 違うと見なす。

このことを 少し説明しておこう。

知識は借り物だが、学び取る ということは あなた自身のものだ。

知識は、 言葉や言語、概念を通じて得られるが、学び取るとは、あなたの経験を通して 得られるものだ。

知識は常に 完了形だ。
何かを知ることで、 それは完了する。
学ぶことには けっして完了がない。
常に 途上にある。

学ぶこととは プロセスであって、休むことなく ずっとつづけられる。
最後の最後の瞬間まで、 人は 学びつづける。

知識は必ず どこかで止まり、エゴになる。
だが、学ぶことには 終わりがなく、謙虚なままでありつづける。


知識は 借り物だ。
あなたは 知識で 師を欺くことはできない。
あなたの言葉は 表面にとどまり、内側 深いところで、あなたの存在は 示される。

言葉で 自分を隠すことはできない。
師にとって、あなたの言葉は 透けて見える。

あなたが、 知っている として示すものが何であれ、師は その背後にある真実を 見逃さない。


この男 蜷川も、もし知識人であったら 一休に捉まっていただろう。
しかし、彼は 本当に学ぶ人間だった。
彼は 学んできたのであって、それは見せかけではなかった。
〈生命〉、〈実在〉から得た 多くの経験、彼は 多くを学び取ってきた。


“ そなた 多くを学んできたものよ------ ”

これは 禅の導師からとしては とてつもないことだ。
禅師たちは こうしたことを言うことに関して とてもケチだ。
禅師が こう言うとき、それは本気だ。

こんなことを言うのは、本当に 心動かされたときでしかない。
相手に 本物を 心底感じ取ったときでしかない。
そうでなければ、 言わない。


この逸話の内側を よく見なさい。

そして 自分を そこに並べて 感じてみなさい。

あなたは 学んできただろうか?
それとも知識を かき集めてきただけだろうか?


これを最も 基本的な法則として、けっして知識を通して 反応しないでいなさい。
反応ではなく、臨機応変に 対応することだ。

そうしてこそ初めて、あなたは 私に もっと近づく。
そうなったら、 ある日、私も あなたを奥間にみちびいて 茶をふるまうことができる。
そうでない限り、物理的に 私に近くなっても、なんの役にも立たない。


私はあなたに 目覚めをもてなさなくてはならない。
そして、ご馳走のなかの ご馳走も差しあげなければならない。
妙味なる 無をーーー


第八章「濃紫に染められた野辺」 終



「草 は ひ と り で に 生 え る (再版) 」 by OSHO

発行/ OEJ Books 株式会社

第八章「濃紫に染められた野辺」(12)

(…ボーディダルマは瞑想していた。
彼は真に偉大な瞑想者だった。)

彼は 十八時間つづけて瞑想することを好んだが、これは実際 大変なことだった。

くり返し、 くり返し 睡魔におそわれ、そのたびに目蓋(マブタ)が 閉じかかる。

そこで彼は、目蓋を切って 棄ててしまった。
こうなったら もう眼を閉じる可能性はない。

この 話は 美しい。

そして、この目蓋が 茶の最初の種となり、その種から生えてきた草木で、ボーディダルマは茶を、その葉を摘んで 世界で最初の茶をたてたという。

茶にして飲んだ彼は驚いた。
かなり長い間 敏感でいられたからだ。

このことから 禅の人々は茶を飲むようになり、茶は 非常に神聖なものになっていった。



禅の師が 茶を出すというのは 一つの比喩だ。
師は、「もっと目覚めよ」と言っている。

おまえの歩む道筋は正しい、 と 一休は 蜷川に言う。
正しい道筋だ。 が、おまえは いささか眠たげに歩いている。
おまえは 正しい方向を見つけたのだから、その方向に 進むがいい。
まもなく お前の 禅風の存在は 禅になっていくことだろう。
が、 もう少し 目覚めていることが必要だ。


“ その禅風に いたく驚き
蜷川を奥間に通して茶をもてなした ”


一休は 目覚めをすすめている。
一休の
目覚め(覚醒)を。

これは、 蜷川は もっと目覚めていなければならない という象徴だ。
それだけが 蜷川に 必要だということだ。


“ その折 詠まれた歌は

なにをかな参らせたくな思へども
達磨宗には 一物もなし ”


これには 二つの意味がある。

普通の意味はーーー禅宗では 御馳走は認めない。
簡単な食べ物だけだ。
穀物に野菜に 茶、珍味はない。

だから、当たり前の意味にとれば こうなる
「何か馳走したいと思うのだが、残念ながら 禅門には もてなせるものは何もない。


これは、一休が、 蜷川の 最も深い核心に浸透しようとする 最後の努力だった。
蜷川に この歌の意味を 理解できるだろうか。

二つめの 意味は、
「何か 馳走したいと思うのだが、残念ながら 禅門
に 差し上げられるものは 無 い も の だけだ」

「一物も無し」の意味は、「何もない」という意味でもあり、また、「何も無いということ」でもありうる。
そのときには、「無を ふるまう」ということだ。

目覚めと 無とは、同じものの 二つの位相であり、目覚めていけばいくほど、存在が 無である感じは 強まる。

だから 一休は まず茶を ふるまうことで「もっと 目覚めよ」と言い、それから こう言ったのだ。
「残念ながら 何も差し上げられない、 無 以外は」


これは、 師が放った 最後の網(あみ)だった。

もし蜷川が 見せかけだけの人間だったら、茶のもてなしを受けた後、気をゆるめていたことだろう。

彼は こんなことを 考えたかもしれない。
「私は受け容れられた。
禅師が 居室に通して 茶をふるまってくれたのだから」

彼は ほっとして、茶を一杯 すすったあと リラックスしたことだろう。
人は 長い時間 見せかけを つづけることはできない。
何かの フリをするというのは 大変な緊張を要するから、過ぎた と思えば リラックスせずにはいられない。

師は 茶をふるまってくれた。
もう 見せかける必要はない、 終わった。
と いうわけで、これは 一休の仕掛けた 最後のワナだった。

蜷川の 返歌。
“ 一物も 無きをたまはる心こそ
本来 空の妙味なり ”

いや、彼には 本物の禅風の理解があった。
単なる 詩人ではなかった。
〈実在〉の 真の詩情の何かが 彼の内には 起こっていた。

蜷川は 即座に一休の歌を 理解した。
彼は 即座に対応することができた。

蜷川は 言う。
「無をもてなしてくださる お心こそ、本来の空。
これこそ珍味のなかの珍味でございます」

無こそ ご馳走中のご馳走。
これ以上のものは もてなそうとしてもできない。
これこそ最後のご馳走、〈実在〉自身の 最後の味だ。

それは、 あたかも 神そのものを食べたかのような、ご馳走のなかの ご馳走。


13へ つづく

第八章「濃紫に染められた野辺」(11)

(…頭で〈現実(リアリティ)〉に至ろうとするのは、まるで耳で見ようとするようなものだ。 それは不可能だ。
耳は 聞くことはできるが、見ることは できない。)


ハートを通して〈現実(リアリティ)〉に至ろうとするのは、手で 見ようとするのに似ている。
手は 見ることはできない。
しかし、手を通して、見ることとは どんなことか 一見は できる。

盲目の人は、もし愛する女性がいたら、その顔に触り、顔をかたどる曲線に触れる。
そのからだを触って、肌の丸みや 暖かみ、大理石のような その感触を感じとる。
こんなとき、 手でも、見るということの きらめきを得られる。

手は、見ることに近いものを ちらりと感じ取らせてはくれるが、厳密には 見ることとは違う。
手は、手探りすることしかできない。

だが、眼を閉じて 人の顔を触れば、その曲線を、 鼻を、 眼を、どんな顔立ちかを感じ取ることはできる。


詩人は、 手のようなものだ。

詩人は〈現実(リアリティ)〉の本性を 手で感じる。

ある種のきらめきが それによって得られる。

禅風とは このことだ。


真の禅人は 眼のようであって、手探りはしない。
手で触れる必要はない。

真の禅人は 見ることができる。



“ 禅師は その禅風にいたく驚き
蜷川を 奥間に通して茶をもてなした ”


ここにあるのは、人が 師に受認されたことを 示す象徴(シンボル)だ。
より親しく もっと近づくことを許されたのだ。


“ 茶を もてなした ”


茶は 目覚めを意味する 禅の象徴としてある。
茶は あなたをより敏感にし、自覚させる。

茶を発明したのは 仏教徒たちだった。
何世紀にもわたり、仏教徒は 茶を瞑想に役立ててきた。

確かに 茶は 役に立つ。
茶を 一杯、強いのを 一杯飲んでから 坐って瞑想に入れば、少なくとも 一時間は 眠気を覚えず目覚めていられる。

あなたは、 静かに ゆったりと坐ると、必ず眠くなる。
この眠気を避けるために 茶は役立ってきた。


茶の話は ボーディダルマ(達磨)に始まる。
ボーディダルマが 中国の Ta と呼ばれる山で瞑想していたときのことだ。

この Ta から 英語の Tea が来ている。
この山の名前は Ta 以外に Cha とも発音されていた。
インドでも 茶は、Chai (チャイ)とか Cha (チャ) と呼ばれる。


ボーディダルマは瞑想していた。
彼は 真に偉大な 瞑想者だった。


(12)へ つづく

第八章「濃紫に染められた野辺」🔟

“ 蜷川- -宮城野- -秋- -花開きし野なり ”


ここで 理解すべきことがある。

雲は 現れまた消える。
これは 同じコインの両面だ。
花は咲き、そして散る。
これもまた、同じ現象の 二つの位相だ。

「在る」と「不在」は 対立するものではない。
それは、同じ 一つの事物の 二つの位相だ。
今は 花が咲いて「在る」だから紫野と 呼ばれる。
そして 花が去ったとき、人々は、これは、秋に咲いた あの紫色をした花が「不在」になった野だ と言うだろう。

依然 紫野であることに変わりはない。
紫野の もう一つの位相を、「不在」の相を 見ている。


こんな話がある。

昔、 一人の禅師がいたが、この禅師は 母親を非常に愛していた。
父親は 彼が禅林に入る前に死んだ。
禅僧になりたいと伝えたとき 母親はこう言った。
「私は貧しい上に、一人ぽっちになる。
お父さんは死んだし」すると彼は言った。

「僧になっても私は変わらず あなたの息子でいますし、あなたも私の母親でいてください。
私は 世を捨てはしません。
あなたは 何も失うわけではありません」

そこで母親は 彼が僧侶になることを許した。

息子は母親を 心から愛していた。
母親のために 市場に買い物にも行った。

人々は笑った。
「坊さんが買い物なんて、見たこともない」

仏僧は ふつう托鉢(タクハツ)して物を乞う。
この僧は 托鉢しないばかりか、肉や 魚まで買うことがあった。
人々は 彼を嘲笑した。 これは やり過ぎだ。

もちろん、僧は 自分のために それらを買ったのではなく、母親のために買っていたのだ。
母親は、尼僧でも宗教的な人でもなかったから、そういうものを 好んで食べた。
しかし、僧侶の息子が 魚などを買うのを指して 街中の人が嘲笑するのを見ると、彼女は 菜食するようになった。
それに、人々が息子の買い物する姿を見て 笑うものだから、「もう 行かないでおくれ。 わたしが 自分で行きます」と言うようになった。

彼は いつまでも 母に対して献身的な息子だった。

そのうち ある日、彼は、説教のため出かけて行ったが、留守の間に 母親が死んでしまった。

戻った彼は、かろうじて母親の 死に顔を見ることができた。
ちょうど人々が その亡骸(ナキガラ)を 墓地に運ぼうとしていたときだった。


彼は亡骸に近寄ると 言った。
「お母さん、行ってしまわれたのですね」
それから、自分自身で またこう応えた。
「そうだよ、息子や、私は からだから抜け出てしまったよ」
彼は 再び 言う。
「心配しないでください。私も まもなく肉体(カラダ)を離れることでしょうから」
それから彼は 返事をした。 母親の側からだ。
「わかった、お前を待っているよ」

僧は そこに居た人々に、
「私は 母に別れを告げました。
対話は終わりました。
葬儀は済んだのです。
もうこの身体を持って行って構いません」と言った。

誰かが訊ねた。
「私たちには 何のことか全く解りません。 どうしたんです?
誰に向かって話していたんですか?」
「母親の 不 在 にです。なぜなら それが、母の存在の もう一つの位相だから」

「しかし、では なぜ あなたが返事をしたんですか?」
彼は 言った。
「それは、母には返事が できなかったからです。
ですから、私が両方しなければならなかった。
不在なるものには 返事はできません。
だから私が、母の側から返事をしなければならなかったのです。
でも母は、前に い た のと 同じように い る 。
ただ、今は 不在の相の内に いるだけです」。



こういうわけで、 一休が、 “ それらが去りし後は? ” と訊いたとき、蜷川は、 “ 宮城野 秋 花開きし野なり ” と応えたのだ。

前と同じ 野、ただ 不在の相の内にあるだけ。

顕われているか 顕われていないか、存在しているか 存在していないか、生か 死か、こういったことは、同じ現象の 二つの位相でしかない。

選ぶべきことは 何もない。

選ぶ者は 愚かだ。
不必要に 苦悩に陥ることになる。


さて、内心 驚きながら、一休は 最後の問いを出す。


“ 宮城野にて- -何ぞ起こるかの? ”


花が去ったあとの 野はどうなる?


“ 蜷川- - 水は流れ、風わたり申す

禅師は その禅風にいたく驚き
蜷川を 奥に通して茶をもてなした ”


いいかな、 これは 禅風 であって、厳密に 禅ではない。
蜷川は 詩人だ。
しかも 深い理解をそなえた 偉大な詩人だ。

しかし、詩の世界の極致は、禅の世界の 入口にすぎない。
宗教の世界の 入口にすぎない。

禅風ーーー蜷川は 理解している。
ある種の きらめきを 経験している。

彼は 自分を開いているし、感じることもできる。
暗闇を 手探りで歩いてきて、ある種の質を つかんでいる。
自身の探求を通じて それに行き当たったのだ。
しかし、それは あくまで ちらりと 一見したのでしかない。
それは 時折起こりうる。



暗い夜、 突然 走る稲妻。

あなたは 一瞬 それを見る。

そして、 暗闇が戻る------

これが、偉大な詩人に 起こることだ。
彼は、まさに境界線上に立って、そこから 彼岸を見る。

それは あくまで ちらりと見ることにすぎない。
それは 禅風にとどまる。

では、禅風は いつ禅になるのだろうか?

それは、 単なる 一見が そうでなくなり、その人の 存在そのものになるときだ。
そうなったとき 人は、瞬間、瞬間を その内に生きる。
もう それは、ちらりと現れ またすぐに消えるものではない。

それは、人の 最も内奥の 存在のあり方、生き方となる。


それは もう走る稲妻ではない。
白昼のように、真昼のように、太陽は 空高くあがり、そこに とどまる。
暗闇が戻る 可能性は もうない。
それは ちらりと 一見するものではなく、その人の 一部となっている。
そうなったら、どこに行こうが、人は それを内部に持って 行く。
今こそ 内なる光が 燃えている。
もう 偶然に左右されることはなく、人は内部で ゆったり定着できる。
それは その人の 家になったのだ。



頭で〈現実(リアリティ)〉に至ろうとするのは、まるで 耳で見ようと するようなものだ。

それは 不可能だ。

耳は 聞くことはできるが、見ることはできない。


(11)へ つづく

第八章「濃紫に染められた野辺」9️⃣

…( 蜷川は 一休と同じ領地の出身だが、彼はそんなことを指して言ったのではない。
彼は 内面の領域について、内面の探求について言ったのだ。)


おそらく、あなたは もうずっと前方に いらっしゃるでしょう。
おそらく、あなたは もう到達しておられ、私はといえば ほんの初心者だ。
しかし、私も 同じ領地に属する者です。

探求するところは 同じ------同じ 旅仲間です。


ひとたび あなたのハートが〈真理〉を知ろうとする 衝動にかり立てられたら、あなたも また、全ての覚者(ブッダ)たちと 同じ旅をする 旅仲間になる。

彼らは 行き着いた。
あなたも また行き着くだろう。

それには何世も 何世も かかるかもしれない。
だがそれは たいしたことではない。
あなたは 道を歩み始めた。
まだ ほんの先端にいるかもしれないが、でもあなたは 同じ旅の 旅仲間だ。


蜷川は言う

“ 和尚と同国なり ”

私は、 あなたと 同じ世界に属しています。


一休- - ふむ、 あちらはこの頃 如何かの?


一休は 蜷川を 突つくのをやめない。
挑発している。
もしかしたら この男は、どこかで習ったり 借り物の美辞麗句を並べて 欺(アザム)こうとしている 見せかけや かもしれない。
それとも こうした問答が書かれている 教典を勉強した禅宗の学者か?
だが、一休から 逃れることはできない。
もしこの男が 見せかけだけの人間だとしたら、そのうち どこかでシッポを出す。


“ ふむ、 あちらはこの頃 如何かの? ”


一休は蜷川を 出発点に また引き戻す。
彼が 言おうとしたことも よく解っている。
同国 という言葉で何を意味したか よく解っている。
だが、それを 認めようとはしない。
「あちらでは最近どんなことが起こっている?」と 訊き返す。
誰が 偉くなったかね? 誰かの女房が浮気をしたような話は? ウワサとか ゴシップ、最近 どんなことが起こっている?
いろんな出来事が あったに違いない。
誰が死んだとか、結婚したとか、出来事だ。
どんなことが 起こっているのだね?


“ 蜷川- - 烏は かあかあ 雀は ちゅんちゅん ”



元首や 宰相たちと その世界、政治や経済や 市場の動向は 本当の歴史ではない。
それらは 偶発的な事柄にすぎない。
それらは 永遠の 一部ではなく、時間のなかで起こることだ。

永遠であるものだけが、 知 っ て い る 人たちにとって 唯一のニュースだ。
知らない人たちにとっては、偶発的なことだけが 唯一のニュースになる。


“ 烏は かあかあ 雀は ちゅんちゅん ”

これこそ永遠不滅の ニュース、今までも ずっとこのように起こり、今も このように起こっているニュースだ。

夏と冬、自然は 移り行き、雲は現れ また消えていく。
これが 永遠だ。
朝には 陽が昇り、夕べには 沈む。
夜には星が、 ほのかな音楽を奏でながら 大空に広がる。
これだけの ことだ。
これが 本当のニュースなのだ。

カラスは 誰が出世しようと構わない。
スズメは 出来事の世界に その涙ほどの注意も払わない。

人間だけは、ガラクタが いっぱい詰まっている。


ヘンリーフォードが、「歴史なんてデタラメだ」と 言ったことがある。
こういうことが、あれほどの富豪の口から 発せられた というのは稀有なことだ。

フォードの 言ったことは正しい。
ナポレオンが 勝とうが敗走しようが、それが どうだというのだ?
誰が支配者であれ〈永遠〉は動いていく。
あれこれ起こっていることに 気づきさえしない。

蜷川は 何を言っているのだろうか?
彼は、〈永遠〉なるものは 常に変わらない と言っている。


“ 烏は かあかあ 雀は ちゅんちゅん ”


“ そなた 今 何処にいるとお思いか? ”


一休は 厳しい。
また 別のところからアタックする。
君は 今 自分がどこにいると思うかね?


“ 蜷川- -濃むらさきに染まる野辺に ”


大徳寺は 京都の 紫野にある寺として知られていた。


“ なにゆえ? ”


なぜ そんな呼び方をする? 君は今 紫野の寺にいる。
なぜ ここを 濃むらさきに染められている野と呼ぶ?


“ 蜷川- -桔梗キキョウ 槿ムクゲ 萱草カヤクサ 紫蘭シラン ”


花が 辺り一面に 咲き乱れている。
蜷川は、「紫野という名前ですから」とは 言わない。
名前は 記憶に、過去に 関するものだ。
師は 今のことを訊いている。

今 周囲は 花であふれているではないか。


“ 桔梗 槿 萱草 紫蘭


この咲き群れた花で、辺り 一面、濃むらさきに 染められたかのようだ------

一休が 今について 訊けば、蜷川もまた 今について話している。
しかし、 一休は 一筋縄ではいかない 禅師だ。
手綱(タズナ)を ゆるめず、重ねて問いつめる。


“ それらが去りし後は? ”


今、ここに 君の言う花が確かに 咲いている。
いいだろう。
だから濃むらさきに 染められている野、 と呼んだのだろう。
だが、まもなく これらの花は散る。
そうなったら、何と呼ぶのかね?
花が 散り去った後は?



“ 蜷川- -宮城野 秋 花開きし野なり ”



🔟へ つづく

第八章「濃紫に染められた野辺」8️⃣

(“ 蜷川は応える。 仏法に帰依する者です。 ”

これは、自己主張のない本当に謙虚な態度だ。
彼は 自分の名前を言わなかった。)


ーーー私は蜷川です、 ご存知でしょう?
私の歌人としての名声を 聞いたことはないですか?
書物を読まないんですか?
なんてバカなことを この人は訊くのだろう、私が誰かかって?
国中の者が 私を知っているのに。
帝位にいる方でさえもーーー


詩人というのは、ひじょうに エゴイスティクな人種だ。
詩人、作家、小説家、彼らは皆、結晶したエゴの持主だ。
文学に関わる人たちほどエゴイスティックな人たちは 他に見つからない。
彼らとは どんな対話も きわめてむずかしい。

彼らは もう既に 知 っ て い る 。
他人に教えこそすれ、教わろうとはしない、 いや できない。

ただ何行か 文字を組み立てられるというだけで、小説や お話が書ける というだけで、彼らは 自分たちが 特 別 な 何 者 か であるような気になり始める。


ところが実際は、真の詩人に エゴは全くない。
もし詩人に、結晶した強いエゴがあるとしたら、その人は 詩人ではない。
なぜなら その人は、自分の詩から 何一つ 学んでいないからだ。

その人は、詩とは 己がないときにのみ降臨する、という 基本的な真理さえ まだ会得していない。
だから、詩作しなければいられないし、何かを為さなければいられない。

詩文は 一つのテクニックでもあり得るから、その人は テクニシャンかもしれないが、詩人ではない。

美しい言葉にリズムをつけて アレンジすることはできるかもしれないし、あらゆる法則に従って 完璧な詩を作るかもしれない。
しかし それは詩人ではない。

上手な詩、技巧的には 正確な詩を作るかもしれない。
だが、もし その奥の深いところに エゴが依然あるとしたら、その人は 詩とは何かを知らない人だ。
なぜなら、詩が生まれるのは、己が いないときだけだからだ。

実際、 偉大な詩人は、 この詩を作ったのは自分だ と主張しない。
どうして そんな主張ができよう?

その詩が生まれたとき 自分はいなかったのだから。


偉大な詩人の コールリッジが死んだ時のこと、彼は 四万にも及ぶ 未完の詩句を残して死んだという。
彼は 詩作し始めはするものの、三行ほど書くと ふっとやめてしまう。
何年も経ってから、突然 ある日 それに二行ほど書き加え、 また ふっとやめる。

四万に及ぶ 未完の詩だ! 死ぬ ちょっと前、ある人が 彼に訊ねた。
「これは 一体どういうことです?
こんなに素晴らしい詩句ばかりなのに、なぜ完成させないんですか?」

すると彼は こう言った。
「どうやって私に完成できる? あれは 私が書いたものではない。
来たんだ。
あれは 来るときは 来る、来ないときは来ない。
私に 何ができよう。
引っぱって来れるものではないし、無理に 来させようとできるものでもない。
どこから来るのか 私には分からない。
不意に 詩句が降りてくる------
ときには 詩全体が 次々と来ることもあるし、そうでないときもある。
どうすることも できない。
だって私は それが どこから来るのか 知らないんだから。
実のところ、それは 私が いないときに来る。
私は 目がくらんでしまって、 ただ 空っぽになるだけ。
だからどうやって 私 に完成することができる?」


古代の詩に 作者の署名がないのは このためだ。
誰も、誰がそれを 書いたのか知らない。

ウパニシャッド、最も偉大な 詩のなかの詩。
誰が書いたものなのか、誰も知らない。

作者たちは けっして自分の名前を記さなかった。

彼らは 深い謙虚な気持ちから 署名をしなかった。
彼らが作者では なかったからだ。
彼らが 創ったものではなかったからだ。


蜷川が「あなたは誰か?」と 問われたとき、もし彼が 他の詩人たち、普通の詩人や 作家たちのようだったら、彼らのように 自分のことで、エゴで いっぱいになっていたとしたら、こんな風に言っていたかもしれない。
「私は詩人です、桂冠詩人です。 ご存知でしょう?
帝に賞賛され、宮廷詩人に任命されているのですよ」

いいや、蜷川は こう言っただけだった。


“ 仏法 帰依の俗(出家していない人)にてござる ”


彼は 連歌のことは 言わなかった。
得ていた名声に言及しなかった。

彼は 自分自身について何一つ言わなかった。
彼は ただ、仏の教えに帰依する者 とだけ言った。

帰依者、献身する者。
これは彼が、その ハートゆえに その愛ゆえに、一休の前に立ったことを 示している。

彼は 理論のためでなく、単なる帰依者として その感じるところから来たのだった。



“ 一休- - いずれから?

蜷川 - - 和尚と同国なり


美しい比喩だ。
事実、蜷川は 一休と 同じ領地の出身だが、彼は そんなことを指して言ったのではない。

彼は 内面の領域について、内面の探求について言ったのだ。


9️⃣へ つづく

第八章「濃紫に染められた野辺」7️⃣

…(訪れは偶然なされることもある。)

誰かがあなたに 誰それという導師のことを語り、あなたは たまたまその近くを通りかかる。
するとあなたは こう考える。
ああ、 まだ映画に行くまでに時間があるから、ちょっと寄って、どんな導師(マスター)か 見てみよう。

もし偶然の訪れであるなら、その関係は 入り口のところで終わりにした方がいい。
どこへも 行き着きはしないから。


もしマインドが 議論好きなら、もしマインドが 自分の考えで いっぱいなら、あなたは 学生にはなれるが、弟子には なれない。
導師は 教師ではない。
導師は 学生を求めているのではない。
学校を 経営しているのではない。

導師は ハートの寺院を 創り出している。
ハートの神殿を作って、聖なる、神聖なる現象を この地上にもたらそうとしている。


一休は 感じ取らなければならなかった。
そして 非常に深いところまで 感じ取った。

この男 蜷川は、その気概を証明した。

本物だった。
蜷川は 反応しなかった。
彼は 師 一休に 応答した。

そして 師の問い求めたこと全てに、 彼は 全面的(トータル)に 応答した。
これらの応答は 美しい。
ゆっくり辿っていくがいい。


“ 玄関にて問答があった

一休- - どなたかな? ”


これこそ、求道の全てだ。 あなたは 誰か?

宗教は全て このことのためにある。

もしあなたが、自分が誰かを 既に知っているのだったら、それなら入門など 気にすることはない。

それとも、もしあなたが その無知ゆえに、自分の存在を、名前や姿かたちで 確認しているとしたら、名前や 姿と 自身を同化させすぎて、それで中身がいっぱいになっているとしたら、あなたは、 一休ほどの導師に 受け容れられるほど成熟していない。

もっとレベルの低い師に行ったほうがいい。
いや、 師というより、
「人間とは 名前でも かたちでも肉体でもない」などと 教えてくれる 教師のもとに行けばいい。

そういう教師に、導師が種を 植えつけられるような 哲学的土壌を作ってもらうことだ。
あなたは 教師のもとに行く必要がある。

だから 一休が まず初めに訊いたのは、あなたは誰か? ということだった。


“ 蜷川は応える。 仏法に帰依する者です。 ”


これは、自己主張のない本当に謙虚な態度だ。

彼は 自分の名前を言わなかった。


8️⃣へ つづく