saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

マイウェイ「10日めの朝」OSHO : 01

Pp 268ー271
「あなたこそ〈道〉」
(質問)
バグワンーーー
御存知のように、古い禅の習わしとして、禅僧は自分自身 外に出て説法するようになるまでには 十年は その師の許にとどまらねばならないことになっています。
その十年を終えた一人の禅僧の話があるのですがーーーーーー或る雨の日のこと、その僧は 自分の師である南院(慧ぎょう)を訪ねました。
南院は、挨拶がすむと その僧に こう訊ねました。
玄関に はきものを脱いできたことには まちがいなかろうが、傘のどちら側に脱いできたかね?
一瞬の間 僧はためらいましたーーーーーーと、そのためらいを通じて彼は 自分が四六時中 禅の内にいなかったことに気がつきました。

あなたは〈生〉は脈動しているーーー吸い入れ、吐き出し、陰と陽とーーーと語られますが、私たちは 一瞬も欠かさず目覚めているように努めなければならないでしょうか?
それとも、〈生〉とともに脈打って、時にはその努力を解き放(レットゴー)しても かまわないのでしょうか?



まず第一に 理解しておかねばならぬことーーー
目覚めは 瞬間から瞬間へとつづかねばならない。
しかし それが在りうるのは
それが 努力なしで 可能になったときだけだ。

努力があったら あなたはそれとの接触を 何度も何度も失うことになる
努力があったら あなたは休息がほしくなる。


間断ない努力 ということはありえない、不可能だ。
絶えまなく努力することなど どうしてできよう?
あなたは疲れてしまって
リラックスしなければならなくなる。
どんな努力にも リラックスが必要だ。
したがって
もし目覚めていることが 努力をもってするものなら
そのときには その努力は
間断ない連続的な流れとはなりえない。
自覚心を失わなければならない瞬間がでてくる。


〈生〉は脈動するーーー
〈生〉は常に対極に向かって動く。
努力するーーーーーーと、そのあとは休まなければならない。
そしてまたふたたび努力する
そしてまた休息するのだーーーーーー
だが
〈生〉を超えたところにある目覚め
超越的なもの
それには脈動はない。
それには努力は いっさい無い
それは 臨機応変に自然発生する。


この南院の弟子、この禅僧には いったい何が起こったのだろう?
師は訊いた。
はきものは どこに置いたかね?
傘の 右側かね、左側かね?
弟子のほうは ためらった。
彼は、はきものを脱いだその瞬間 自分が自覚していなかったことに気がついた。
さもなければ、どこにはきものを置いたか、左側だったか右側だったか知っているはずだ

彼の意識には まだ連続性が なかった。
これは、彼の意識には まだ努力が要ることを示している。
彼は依然、意識的に努力しながら覚えていなければならないのだ。
その 心している状態には まだ緊張がある。
彼は まだ完全には心して目覚めていない。
ときには それに成功するが、ときには 失敗もするーーー


南院が訊ねていることはこれだ。
おまえの自覚心は 今では自然になったかね?
それを 操作する必要はなくなったかね?
それについて おまえがどうこうすることはないかな?

それは そこに在るーーー
そうなったかね? それとも
それを そこに在らしめるために おまえはまだ努力しなければならないかね?


もし努力しなければならないものならば、そこには緊張がある。
そして緊張があるものは当然ながら不自然だ。
不自然な目覚めは 本物の目覚めではない。
それは表面だけにとどまって、あなたの内側には無い。
それに もし内側に在るものなら、努力などする必要はもともとない。

私が伝えようとしていることは これだ。
努力とは 常に外面にあるもの。
努力を通して中心(センター)に 触れることはできない。
外面的なものごとに何かを為すことはできる。
ふるまいや態度を 変えることはできるし
いわゆる性格を変えることはできる。
外面的には、努力をもってしてできる。
悪い人間から善人になることもできるし
罪人から有徳の人となることもできる。
あなたは聖人になることさえできるだろう
外面的には、努力をもってしてーーー
しかし
努力をもってしては 中心(センター)には触れることはできない
そこまで浸透していくことはできない。
なぜなら どんな活動も “あなた” にまで導いていくことはないからだ。
“ あなた ” は すでに そこにいる!
何かを為す必要は まったくない。
あなたは ただ沈黙して、臨機応変であればいい。
そのときに中心(センター)が湧き出てくる。
それは 雲の中から出てくるのだ。
そこに裂け目が、すき間ができるのだ。
あなたは突然、自分の機に応じた自覚心に気がつく。
“ あなた自身が目覚めなのだ!”
それは あなたが為す 何かではない
それは 為されなければならない 何か ではない。
あなたの 本性そのものが 目覚め なのだーーー



マイウェイ「10日めの朝」OSHO : 02 へ続く