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「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答集「七日めの朝 --- 08 」by OSHO

(…責任があるのは 常にあなた自身だ、自分を変えるがいい。 ゴタゴタの元になる性質を落としていくことだ。
愛を、自己変容とあらしめなさい。)

セールスマンを訓練するとき こんなことを言うそうだ
お客さんはかならず正しい!

私も あなたがたに言いたい。
関係の世界、愛の世界においては
あなたが かならずまちがっていて、相手が常に正しい!

恋人たちは いつも このように感じている。
もし そこに愛があるとしたら、彼らは いつもこう感じる。

わたしがどこか おかしいんだ!
もし何かが 起こるべきように起こらなかったら
二人とも 同じように感じる。

そうなったら ものごとは成長する。

そうなったら 中心(センター)がひらき

二人のあいだの 境界線が没入するーーー

しかし
もしあなたが、相手のほうが悪いのだ と考えるとしたら
あなたは 自分自身と、そしてその相手 両方を閉ざすことになる。
相手のほうも あなたが悪い と考えている。

思考というものには伝染性があってね------
もしあなたが 相手が悪い と思っていたら
…たとえあなたが それを口に出さなくても
たとえあなたが 微笑して、相手が悪いなどとは思っていないことを示した とて
相手は 読みとっている------
あなたの眼、仕草、顔つきを通して 感じとっている。


たとえあなたが俳優であったとして
偉大な役者であったとして
顔付きを変えたり、仕草を あらためたりしても
それでもなお
無意識の領域では 絶えず信号(シグナル)が 送られている。
あなたが悪い、と------

そして、相手が悪いと あなたが言えば
相手もまた、あなたのほうが悪い と感じはじめる。
関係は この岩の上で壊されるーーー!

そうなると人々は 閉じこもる。
あの人が悪いんだ と言われたら
その人は自分を守護しはじめ、保護しはじめる。
そして 閉鎖が起こるのだ。


常に 憶えておくがいい。
愛にあっては
まちがっているのは かならず あなたのほうだ。

そうなって はじめて可能性がひらかれる。
相手もまた 同じように感じるだろう。

たがいに相手の内に その感じを生じさせるのだ。

恋人たちが近づき合うときには
考えていることが たちまちたがいに伝わってくる。
どちらも 何ひとつ 言わないのに
二人とも 沈黙しているのに
伝え合うことができる。

言語は 愛することのない人々の ためのもの
恋していない人たちのために あるものだ。

恋人たちにとっては 沈黙こそ充分な言語
ひと言も 言うことなくして彼らは語りつづける。

あなたが 愛をサダナと、つまり内面的な訓練紀律と見なすのなら
それなら 相手が悪いなどと言わないことだ。
ただ、あなたの内部のどこかで 何かが まちがっているのを見つけだしなさい。

そしてその まちがいを落とすがいい。

それは簡単にできることではないだろうよ。
なぜならそれは 自我(エゴ)に 反することになるからだ。

それは 簡単にできることではない、というのも それはあなたの誇りを傷つけるからだ。

それは 簡単にできることではない、というのも これは相手を 支配することにも 所有することにもならないからだ。

…相手を所有することで あなたがより強力になることはない。
これは あなたの自我(エゴ)を破壊する。
だからこそ 簡単にできることではない。


自我(エゴ)が 破壊されることこそ肝心なこと
それこそが 終着点(ゴール)ーーー

内なる世界へ どこからアプローチするにせよ
愛から、瞑想から、ヨーガから、祈りから------
どの道を選ぶにせよ、終着点(ゴール)は 同じだ
それは 自我(エゴ)が 破壊されること。
自我(エゴ)を 投げ棄てなさい。

愛を通じてやったら それはとても楽にできる。
それに まったく自然でもある。
愛とは 自然な宗教だ!
ほかのものはすべて ますます自然でなくなっている。
もしあなたに
愛を通して はたらきかけることが できないとしたら
ほかのどの道も あなたにとっては むつかしいことになるだろう。


それから
過去生 (前生)のことは あまり考えないでいなさい。
それにまた 未来のことも あまり考えないでいなさい。
現在で 充分ではないかね?



質疑応答集「七日めの朝 --- 09」by OSHO へ続く---