saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質疑応答集「七日めの朝 --- 03 」by OSHO

(…或る年老いた禅僧の話を聞いたことがあるのだが---)

最後の日がやってきて 彼は死の床に就いていた。

彼は その夜、他界することを宣言したために
彼の信奉者、弟子、友人たちが集まってきた。
彼を愛する人たちは たくさんいたーーー
そういう人たちが 皆集まってきたのだった。
遠方から 国中から人々が 彼のもとにやってきた。

が、或る 古い弟子の一人は
師が死の床にあると聞いて 市場に駆けつけた。

師匠は御自身の家で 死のうとしていらっしゃるのに
なぜおまえは 市場になんぞ行くのかね?
或る者が訊ねると その古い弟子は言った。

師には大好きなお菓子があるのを 私は知っているんだ。
だから その菓子を買いに行くのさ。

その菓子を見つけるのは たいへんだった。
この種の菓子は もう流行(ハヤ)っていなかったからだ。
だが夜までには何とか彼は間に合わせることができた。
彼は 菓子をもって馳せつけたーーー


その頃 人々は いささか心配になっていた。
というのも
師に 誰かを待っているような気配があるからだ。
眼を開けて 見まわすと、また眼を閉じる------

と、例の弟子が 到着した。
師は 言う。
そうか、おまえが来たか
あの菓子は どこだ?

そこで弟子は 菓子を差し出した。
師が 菓子のことを訊いたことで 彼は非常に喜んでいた。


死にかかっていながら
師は その菓子を手に取った。
しかし その手は震えてはいなかった。
非常な高齢にもかかわらず その手は震えはしなかった。

誰かが 訊ねた。
あなたは たいへん年を取られているし、しかも今や 死の縁に立たれている。
すぐにも最後の息が 引きとられようというのに、あなたの手は 震えていませんね?

すると師は言った。
私は震えはしない、怖れがないからだーーー
私の肉体は年老いたが、私は まだ若い。
そして私は
たとえ肉体が消え去ろうと 若くありつづけるだろう。

それから彼は、菓子を一つ 口の中に入れると、もぐもぐ味わった。

誰かが訊ねる。
師よ、遺言は?
最後のメッセージは 何ですか?
もうすぐ私たちを離れていこうという今
私たちに 覚えていてほしいことがありましょう?
と、
師は微笑して 言ったーーー
ああ、この菓子は じつにうまい!


これこそ、“ 今 ここ ” に 生きる人だ。
“ この菓子は じつにうまい!”

死でさえ このときには場ちがいだ。
次の瞬間というのは 無意味なこと。
“ この ” 瞬間、この菓子は うまいのだ!


もしあなたがたが この瞬間の内に在れたら
この現在の瞬間に
この現在性ーーー、 この充実ーーー
このときに はじめてあなたがたにも 愛することができる。


愛とは稀有な開花だ。
愛は ほんの時折にしか起こらない。
何億という人々が、自分たちは 愛し合っているという偽りの姿勢の中で生きている。

彼らは 自分たちの愛を信じている------が
それは 彼らの 信じこみにすぎない。

愛とは 稀な開花ーーー
時折、それは起こる。
それが稀なのは、恐怖が なくなったときにしか起こらないからだ。
それ以前には けっして起こらない。
というのは
愛は、きわめて深い内面的(スピリチュアル)な 宗教的な人にしか 起こりえないという意味だ。

セックスは 誰にも可能なこと。
面識をもつことは 誰にも可能なこと。
が、愛は ちがう。

あなたが怖れていないとき
そのときには 何一つ隠すものはない
そのときあなたは 自らをひらくことができる。

そのときあなたは あらゆる境界線を引きはらって
あなたの内部(ナカ)に、あなたの核にまで浸透するよう他者(ヒト)を招くことができる。

しかし憶えておきなさい。
もし あなたが、自分の内部深くに浸透することを 誰かにゆるしたら、相手もまた あなたが彼の内に、彼女の内に入っていくことをゆるすだろう。
なぜなら
あなたが他者を 自分の内部に入ることを ゆるすときには
信頼が生まれるからだ。
あなたが怖れていないときには
相手からも また恐怖は 消えていく


あなたがたの愛の中には かならず怖れがある。
夫は 妻を 怖れ、妻は 夫を怖れている。
恋人たちには いつも怖れがある。
それなら それは 愛ではない。

それならそれは 愛ではない。
それならそれは ただの取り決めにすぎない



質疑応答集「七日めの朝---04」by OSHO へ続く