「神秘家の道」OSHO 第八章 彼方なるものへの憧れ 2️⃣

Pp 154 ー 157

将来 コンピューターが、人間の記憶能力を滅ぼしてしまうかもしれない危険性がある。
何しろ、コンピューターの方が遥かに正確だし、小さなリモコンならいつも身に付けていられるようになるからだ------。
自分の家にコンピューターを持てるようになるか、あるいは都市の共同のコンピューターに接続できて、リモコンを使ってどんな事でも解答を得られるようになる。
ソクラテスの結婚した日付までわかるようになる!

だが、コンピューターが提供できるのは、与えられた情報だけだ。
もしそれまでにプログラミングされたことのない新しい質問をしたら、コンピューターは無力だ。
どんな答えも出てこない。


脳についての状況も同じだ。
脳とは コンピューターだ。
ただの記憶装置のようなものだ。

そして私たちの教育のすべて、そのコンピューターにデータを入れることでしかない。
それは、自分が与えられたものしか、 答えられない。
物理学を学んだことがないのに、何か それについての質問をされたら、マインドには答えられない。
何しろ、自分の記憶にないのだから。

そうなれば、あなたたちが 思考と呼ぶものは、不毛な作業に過ぎない。
もともと その解答を持ってもいない、ある疑問の解答を求めて、記憶装置に直面するだけだ。
どんな新しい質問を出されても、それは機能を停止する。
コンピューターは無力だ。


だからこそ私は、真理について考えることはできない、光明について考えることはできない、愛について考えることはできない、と強調しているのだ。

生における偉大な事柄は すべて、 考えることができない。

なぜなら それを、 前もってコンピューターに与えておけないからだ。


学者は容量の大きなコンピューターを備えている。
その記憶はより豊かだ。
大学教授のはもっと豊かだ。
ただその記憶故に、尊敬されている人々がいる。

私たちの教育のすべては、記憶の訓練に他ならない。
それは 知性の教育ではない。

知性とは まったく別のものだ。
私たちの教育が教えることは、ただ 何を記憶しなければならないかだけだ。


ロシアでは、脳が正確にコンピューターに似ているという事実が認識された。
それならそれを苦しめ、 無用に悩ます必要がどこにある?
そこで試験では、学生達が図書館で本を調べたり、望む本を持ってきたりすることが許されるようになった。
必要になるかもしれない本はすべて、 試験場で手に入れることができる。
本に書かれているのに、記憶する必要はない。

だが、 あることがわかった。
しかもそれは、 状況をまるで変えるような事だった。

それまで「優」など貰えなかったような人たちが、「優」になった。
それまで「優」だった学生達が、その位置を失い始めたのだーーー「良」になり「可」になって行った。


何が 起こったのか?

解答を探すためには 知性が要る。
しかも 本はたくさんあり 時間は限られているーーー三時間だ。
学生達は五問答えなければならない。
適切で正確な情報をすべて見つけて解答を導き出すには、非常に油断のない知性が必要になる。

それまでいつも トップ-クラスにいた学生達が、その地位を失い始めた。
彼らには知性はなかったからだ。
彼らが持っていたのは記憶だけだった。
今度は その記憶は役に立たない。


これはすべて極めて素朴なことだ。
学生一人一人に小さなリモコンを与えればいい。
そうすれば彼の方は必要な解答を調べるだけでいい。
彼の知性は そのリモコンの使い方に現れるーーーいかにそれを賢く使うか?
いかにして頭が混乱せずにいられるか?
知性ある解答を見つけ出すために、どうその質問を明確に理解するか? ということの中にだ。
だが、それは記憶の問題ではない。

知性を教える、 別種の教育が必要になるだろう。


偉大な知性ある人が、さほど大した記憶の持ち主ではないということは、周知の事実だ。
また、大変な記憶を持った人々もいるが、そういう人たちには知性などまったくない。
そういう人たちの記憶は、殆ど奇跡的で信じられないほどだが、それはまったく機械的なものだ。


万年筆が発明されて、美しい手書きの文字が失われつつある。
旧式の単純なペンの方が、万年筆よりもうまく書ける。
万年筆で書けば速いし、何度も何度もインクをつける必要はない。
ペンの中にインクがある。
その手軽さとインクの出方のために、人々は速く書き始めた。
ゆっくり書くことの中にあった優美さが、 突然消えた。


同じことが、コンピューターに関しても起ころうとしている。
コンピューターは人の記憶に非常に役立つだろうが、それは否定的な意味でも機能するだろうーーー人は記憶力を持たなくなるだろう。
自分の友だちの名前まで、コンピューターで調べなければならなくなるだろう。
自分の住んでいる通りの名前まで、コンピューターで調べなければならなくなるだろう。
何しろ今となっては、自分の(バイオ)コンピューターを働かせる必要はないーーー機械装置を持っているのだから。


脳が問題ではない。
脳とは機械に過ぎないからだ。

問題は マインドという 脳の中味だ。

脳とは 入れ物に過ぎず、各々の生涯で 人は新しい入れ物を手に入れる。
その古い中味が移行して、人の意識を取り囲む層となる


だから、人は新しい始まりを手に入れると言うとき、私が言うのは 脳のことだ。
マインドではない。

だが英語では、その二つの言葉が同じ意味に使われている。

過去生の中に入り始めれば、みんなはマインドの世界に入って行くことになる。

それは膨大な世界であり、 一つ一つの層が、一つの生涯を顕わすことになるだろう。

その層をすべて意識して通り抜けたとき、 その時初めて人は、 自分の意識の中心に行き着く。


3️⃣へ 続く