saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章「濃紫に染められた野辺」(12)

(…ボーディダルマは瞑想していた。
彼は真に偉大な瞑想者だった。)

彼は 十八時間つづけて瞑想することを好んだが、これは実際 大変なことだった。

くり返し、 くり返し 睡魔におそわれ、そのたびに目蓋(マブタ)が 閉じかかる。

そこで彼は、目蓋を切って 棄ててしまった。
こうなったら もう眼を閉じる可能性はない。

この 話は 美しい。

そして、この目蓋が 茶の最初の種となり、その種から生えてきた草木で、ボーディダルマは茶を、その葉を摘んで 世界で最初の茶をたてたという。

茶にして飲んだ彼は驚いた。
かなり長い間 敏感でいられたからだ。

このことから 禅の人々は茶を飲むようになり、茶は 非常に神聖なものになっていった。



禅の師が 茶を出すというのは 一つの比喩だ。
師は、「もっと目覚めよ」と言っている。

おまえの歩む道筋は正しい、 と 一休は 蜷川に言う。
正しい道筋だ。 が、おまえは いささか眠たげに歩いている。
おまえは 正しい方向を見つけたのだから、その方向に 進むがいい。
まもなく お前の 禅風の存在は 禅になっていくことだろう。
が、 もう少し 目覚めていることが必要だ。


“ その禅風に いたく驚き
蜷川を奥間に通して茶をもてなした ”


一休は 目覚めをすすめている。
一休の
目覚め(覚醒)を。

これは、 蜷川は もっと目覚めていなければならない という象徴だ。
それだけが 蜷川に 必要だということだ。


“ その折 詠まれた歌は

なにをかな参らせたくな思へども
達磨宗には 一物もなし ”


これには 二つの意味がある。

普通の意味はーーー禅宗では 御馳走は認めない。
簡単な食べ物だけだ。
穀物に野菜に 茶、珍味はない。

だから、当たり前の意味にとれば こうなる
「何か馳走したいと思うのだが、残念ながら 禅門には もてなせるものは何もない。


これは、一休が、 蜷川の 最も深い核心に浸透しようとする 最後の努力だった。
蜷川に この歌の意味を 理解できるだろうか。

二つめの 意味は、
「何か 馳走したいと思うのだが、残念ながら 禅門
に 差し上げられるものは 無 い も の だけだ」

「一物も無し」の意味は、「何もない」という意味でもあり、また、「何も無いということ」でもありうる。
そのときには、「無を ふるまう」ということだ。

目覚めと 無とは、同じものの 二つの位相であり、目覚めていけばいくほど、存在が 無である感じは 強まる。

だから 一休は まず茶を ふるまうことで「もっと 目覚めよ」と言い、それから こう言ったのだ。
「残念ながら 何も差し上げられない、 無 以外は」


これは、 師が放った 最後の網(あみ)だった。

もし蜷川が 見せかけだけの人間だったら、茶のもてなしを受けた後、気をゆるめていたことだろう。

彼は こんなことを 考えたかもしれない。
「私は受け容れられた。
禅師が 居室に通して 茶をふるまってくれたのだから」

彼は ほっとして、茶を一杯 すすったあと リラックスしたことだろう。
人は 長い時間 見せかけを つづけることはできない。
何かの フリをするというのは 大変な緊張を要するから、過ぎた と思えば リラックスせずにはいられない。

師は 茶をふるまってくれた。
もう 見せかける必要はない、 終わった。
と いうわけで、これは 一休の仕掛けた 最後のワナだった。

蜷川の 返歌。
“ 一物も 無きをたまはる心こそ
本来 空の妙味なり ”

いや、彼には 本物の禅風の理解があった。
単なる 詩人ではなかった。
〈実在〉の 真の詩情の何かが 彼の内には 起こっていた。

蜷川は 即座に一休の歌を 理解した。
彼は 即座に対応することができた。

蜷川は 言う。
「無をもてなしてくださる お心こそ、本来の空。
これこそ珍味のなかの珍味でございます」

無こそ ご馳走中のご馳走。
これ以上のものは もてなそうとしてもできない。
これこそ最後のご馳走、〈実在〉自身の 最後の味だ。

それは、 あたかも 神そのものを食べたかのような、ご馳走のなかの ご馳走。


13へ つづく