(…ボーディダルマは瞑想していた。
彼は真に偉大な瞑想者だった。)
彼は 十八時間つづけて瞑想することを好んだが、これは実際 大変なことだった。
くり返し、 くり返し 睡魔におそわれ、そのたびに目蓋(マブタ)が 閉じかかる。
そこで彼は、目蓋を切って 棄ててしまった。
こうなったら もう眼を閉じる可能性はない。
この 話は 美しい。
そして、この目蓋が 茶の最初の種となり、その種から生えてきた草木で、ボーディダルマは茶を、その葉を摘んで 世界で最初の茶をたてたという。
茶にして飲んだ彼は驚いた。
かなり長い間 敏感でいられたからだ。
このことから 禅の人々は茶を飲むようになり、茶は 非常に神聖なものになっていった。
禅の師が 茶を出すというのは 一つの比喩だ。
師は、「もっと目覚めよ」と言っている。
おまえの歩む道筋は正しい、 と 一休は 蜷川に言う。
正しい道筋だ。 が、おまえは いささか眠たげに歩いている。
おまえは 正しい方向を見つけたのだから、その方向に 進むがいい。
まもなく お前の 禅風の存在は 禅になっていくことだろう。
が、 もう少し 目覚めていることが必要だ。
“ その禅風に いたく驚き
蜷川を奥間に通して茶をもてなした ”
一休は 目覚めをすすめている。
一休の
目覚め(覚醒)を。
これは、 蜷川は もっと目覚めていなければならない という象徴だ。
それだけが 蜷川に 必要だということだ。
“ その折 詠まれた歌は
なにをかな参らせたくな思へども
達磨宗には 一物もなし ”
これには 二つの意味がある。
普通の意味はーーー禅宗では 御馳走は認めない。
簡単な食べ物だけだ。
穀物に野菜に 茶、珍味はない。
だから、当たり前の意味にとれば こうなる
「何か馳走したいと思うのだが、残念ながら 禅門には もてなせるものは何もない。
これは、一休が、 蜷川の 最も深い核心に浸透しようとする 最後の努力だった。
蜷川に この歌の意味を 理解できるだろうか。
二つめの 意味は、
「何か 馳走したいと思うのだが、残念ながら 禅門
に 差し上げられるものは 無 い も の だけだ」
「一物も無し」の意味は、「何もない」という意味でもあり、また、「何も無いということ」でもありうる。
そのときには、「無を ふるまう」ということだ。
目覚めと 無とは、同じものの 二つの位相であり、目覚めていけばいくほど、存在が 無である感じは 強まる。
だから 一休は まず茶を ふるまうことで「もっと 目覚めよ」と言い、それから こう言ったのだ。
「残念ながら 何も差し上げられない、 無 以外は」
これは、 師が放った 最後の網(あみ)だった。
もし蜷川が 見せかけだけの人間だったら、茶のもてなしを受けた後、気をゆるめていたことだろう。
彼は こんなことを 考えたかもしれない。
「私は受け容れられた。
禅師が 居室に通して 茶をふるまってくれたのだから」
彼は ほっとして、茶を一杯 すすったあと リラックスしたことだろう。
人は 長い時間 見せかけを つづけることはできない。
何かの フリをするというのは 大変な緊張を要するから、過ぎた と思えば リラックスせずにはいられない。
師は 茶をふるまってくれた。
もう 見せかける必要はない、 終わった。
と いうわけで、これは 一休の仕掛けた 最後のワナだった。
蜷川の 返歌。
“ 一物も 無きをたまはる心こそ
本来 空の妙味なり ”
いや、彼には 本物の禅風の理解があった。
単なる 詩人ではなかった。
〈実在〉の 真の詩情の何かが 彼の内には 起こっていた。
蜷川は 即座に一休の歌を 理解した。
彼は 即座に対応することができた。
蜷川は 言う。
「無をもてなしてくださる お心こそ、本来の空。
これこそ珍味のなかの珍味でございます」
無こそ ご馳走中のご馳走。
これ以上のものは もてなそうとしてもできない。
これこそ最後のご馳走、〈実在〉自身の 最後の味だ。
それは、 あたかも 神そのものを食べたかのような、ご馳走のなかの ご馳走。
13へ つづく