saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章「濃紫に染められた野辺」8️⃣

(“ 蜷川は応える。 仏法に帰依する者です。 ”

これは、自己主張のない本当に謙虚な態度だ。
彼は 自分の名前を言わなかった。)


ーーー私は蜷川です、 ご存知でしょう?
私の歌人としての名声を 聞いたことはないですか?
書物を読まないんですか?
なんてバカなことを この人は訊くのだろう、私が誰かかって?
国中の者が 私を知っているのに。
帝位にいる方でさえもーーー


詩人というのは、ひじょうに エゴイスティクな人種だ。
詩人、作家、小説家、彼らは皆、結晶したエゴの持主だ。
文学に関わる人たちほどエゴイスティックな人たちは 他に見つからない。
彼らとは どんな対話も きわめてむずかしい。

彼らは もう既に 知 っ て い る 。
他人に教えこそすれ、教わろうとはしない、 いや できない。

ただ何行か 文字を組み立てられるというだけで、小説や お話が書ける というだけで、彼らは 自分たちが 特 別 な 何 者 か であるような気になり始める。


ところが実際は、真の詩人に エゴは全くない。
もし詩人に、結晶した強いエゴがあるとしたら、その人は 詩人ではない。
なぜなら その人は、自分の詩から 何一つ 学んでいないからだ。

その人は、詩とは 己がないときにのみ降臨する、という 基本的な真理さえ まだ会得していない。
だから、詩作しなければいられないし、何かを為さなければいられない。

詩文は 一つのテクニックでもあり得るから、その人は テクニシャンかもしれないが、詩人ではない。

美しい言葉にリズムをつけて アレンジすることはできるかもしれないし、あらゆる法則に従って 完璧な詩を作るかもしれない。
しかし それは詩人ではない。

上手な詩、技巧的には 正確な詩を作るかもしれない。
だが、もし その奥の深いところに エゴが依然あるとしたら、その人は 詩とは何かを知らない人だ。
なぜなら、詩が生まれるのは、己が いないときだけだからだ。

実際、 偉大な詩人は、 この詩を作ったのは自分だ と主張しない。
どうして そんな主張ができよう?

その詩が生まれたとき 自分はいなかったのだから。


偉大な詩人の コールリッジが死んだ時のこと、彼は 四万にも及ぶ 未完の詩句を残して死んだという。
彼は 詩作し始めはするものの、三行ほど書くと ふっとやめてしまう。
何年も経ってから、突然 ある日 それに二行ほど書き加え、 また ふっとやめる。

四万に及ぶ 未完の詩だ! 死ぬ ちょっと前、ある人が 彼に訊ねた。
「これは 一体どういうことです?
こんなに素晴らしい詩句ばかりなのに、なぜ完成させないんですか?」

すると彼は こう言った。
「どうやって私に完成できる? あれは 私が書いたものではない。
来たんだ。
あれは 来るときは 来る、来ないときは来ない。
私に 何ができよう。
引っぱって来れるものではないし、無理に 来させようとできるものでもない。
どこから来るのか 私には分からない。
不意に 詩句が降りてくる------
ときには 詩全体が 次々と来ることもあるし、そうでないときもある。
どうすることも できない。
だって私は それが どこから来るのか 知らないんだから。
実のところ、それは 私が いないときに来る。
私は 目がくらんでしまって、 ただ 空っぽになるだけ。
だからどうやって 私 に完成することができる?」


古代の詩に 作者の署名がないのは このためだ。
誰も、誰がそれを 書いたのか知らない。

ウパニシャッド、最も偉大な 詩のなかの詩。
誰が書いたものなのか、誰も知らない。

作者たちは けっして自分の名前を記さなかった。

彼らは 深い謙虚な気持ちから 署名をしなかった。
彼らが作者では なかったからだ。
彼らが 創ったものではなかったからだ。


蜷川が「あなたは誰か?」と 問われたとき、もし彼が 他の詩人たち、普通の詩人や 作家たちのようだったら、彼らのように 自分のことで、エゴで いっぱいになっていたとしたら、こんな風に言っていたかもしれない。
「私は詩人です、桂冠詩人です。 ご存知でしょう?
帝に賞賛され、宮廷詩人に任命されているのですよ」

いいや、蜷川は こう言っただけだった。


“ 仏法 帰依の俗(出家していない人)にてござる ”


彼は 連歌のことは 言わなかった。
得ていた名声に言及しなかった。

彼は 自分自身について何一つ言わなかった。
彼は ただ、仏の教えに帰依する者 とだけ言った。

帰依者、献身する者。
これは彼が、その ハートゆえに その愛ゆえに、一休の前に立ったことを 示している。

彼は 理論のためでなく、単なる帰依者として その感じるところから来たのだった。



“ 一休- - いずれから?

蜷川 - - 和尚と同国なり


美しい比喩だ。
事実、蜷川は 一休と 同じ領地の出身だが、彼は そんなことを指して言ったのではない。

彼は 内面の領域について、内面の探求について言ったのだ。


9️⃣へ つづく