saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第七章「死んではいません」2️⃣

(…哲学を理解するのは 少しもむずかしくない。
だが、宗教を理解することは ほとんど不可能だ。
論理の使う言語は簡単だが、宗教は 語ることができない。
宗教は〈現実〉の言葉を話さなければならないからだ。)


論理とは、 マインドが〈現実〉のなかから選び出した〈現実〉の 断片にすぎない。
全一(トータル)ではない。

宗教は 全体を受け入れて、その あるがままを知ろうとする。
論理は マインドの建造物だ。

哲学や 論理学や科学などは、全て マインドで組み立てたもの、全て 論理に基づいている。


宗教は、人のマインド全体を 解体する。

哲学は〈現実 リアリティ〉に関して マインドが創った 一つの構造でありシステムだ。

マインドは そこに居座って、あなたに選択させたり 自己投影させたり、判断させたりする。

宗教では、あなたは その構造を解体しなければならない。


〈現実 リアリティ〉は あるがままに在るのであって、あなたはその〈現実〉を どうこうしてはならない。

マインドを落として、よく見てごらん。
マインドがあると、全体を見る邪魔になる。
マインドは 一貫性ということに取り憑かれていて、矛盾を認めようとしないのだから。


だから、解脱に達している人の近くに行くと、あなたのマインドは 必ず困惑する。
あなたは さまざまな矛盾を彼に感じる。
あなたのマインドは こんなことを言うだろう。

この人は こうだと言って、次には それに矛盾することを言う。
そして これだと言うかと思うと 今度は全く別なことを話すし、一貫性がない------


宗教的な人は、その在り方の性質から言って 矛盾に満ちている。
そう在らざるを得ない。
彼は 一貫性を探し求めているのではない。
真実を求めている。
〈本物〉を求めている。
そして 、〈現実〉が たとえ何であろうと、〈本物〉の もののためには、〈現実 リアリティ〉のためには、すべてを落とす用意がある。


彼は〈現実〉の構造を 前もって公式化したりすることはない。
〈現実〉とは こうあるべきだという考えは ひとかけらもない。
もしそれが 矛盾だらけだったら 矛盾だらけなのだ。
それで結構、 OK というわけだ。

彼は、〈現実〉に対して こちらから押しつけるものは 何ももっていない。


宗教的なマインドは、〈現実〉が 自らヴェールを脱ぐようにさせるだけだ。
それがどんなものかという考えは 一切持たない。

宗教的な人は 受身だ。

論理的な人、哲学的な人、科学的な人は 攻撃的だ。
そういう人たちは ある考えを思いつくと、その考えを通して〈現実 リアリティ〉を構成する。
その考えの周辺で〈本物 ザ-リアル〉を発見しようとする。
ところが その考えは、人が〈本物〉を見出そうとすると、そうはさせまいとする。
その考えそのものが 邪魔をするのだ。


したがって、一つの道として論理の道があり、もう一つの道として詩情の道がある。

詩情は論理に対立する。

論理は合理的だが 詩情は不合理だ。

論理は論理的だが、 詩情は想像的だ。

この違いをよく憶えておきなさい。
なぜなら宗教は、そのどちらでもない。
論理的でも詩的でもない。


論理は マインドが生み出すものだが、想像もまた マインドの産物だ。

詩人は〈現実〉を想像する。
もちろん、詩人の〈現実〉は、論理学者の〈現実〉より ずっと色彩豊かだ。
詩人は 想像することを怖れない。
全く自由に 想像の世界を泳ぐ。

詩人はべつに、何か特定の考えを追わなければならないことはない。
ただ〈現実〉について 夢みるだけでいい。

しかし、これもまた に つ い て だ。
詩人もまた〈現実〉に つ い て 夢みるのだ。

美しい大いなる〈全体〉が、その 夢みることから創りだされる。
その深い底のほうに 幻想があるから、詩人は 豊かな色彩に満ちている。


一方、 論理は 平坦で色がない。
ほとんど灰色に近い。
そこに 詩情は 全くない。
想像が 欠けている。


詩には 矛盾がいっぱいある。
想像から 生みだされるからだ。

矛盾であろうがどうであろうが かまわない。
詩人に 一貫性を持つように とは 誰も望まない。
たとえ今日 ある詩を書いて、明日、今日の詩と 全く矛盾する詩を 書いたとしても、誰一人 気にかけない。

人々は、これは 詩なんだから、と 言うだけだ。


もし、絵かきが 今日ある絵を描いて、明日 まったく反対の絵を 描いたとしても、絵かきには 一貫性を求めないから、「一体 あなたは何をやっているんです?」とは 誰も訊かない。

「昨日は 月を黄色に塗ったのに 今日の月は 赤いじゃありませんか。 矛盾してはいませんか?」

こんなことを言う人は 誰もいない。
そこにあるのは 詩なのだ。

絵というのは 詩だし、 彫刻も詩だ。

そして、人は 詩人たちには どんな自由も許す。
しかし 詩というのも想像の産物に すぎない。



マインドには 二つの中枢(センター)が あって、一つは 考えることをし、もう 一つは 想像する。

両方とも 頭の領域のものだ。


3️⃣へ つづく