saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

問題は 一つだけーーー7️⃣

(…子供のときに かき集めたエゴのために 愛することができなくなり、誰とも気楽に いっしょにいられない。)


エゴは いつも闘争状態にある。
あなたは 今 静かに座っているかもしれない。
だが、エゴは 常に闘っている。
周りを見回しては、どうやったら人を支配できるか、どうすれば 自分の言うとおりになるか、どうしたら 世のなかで 一番偉い最高の人間になれるか、考え、見張っている。


これが、至る所で問題を引き起こす。

友情、愛、社会。
あらゆるところで あなたは衝突する。
あなたに このエゴを与えた両親とのあいだにすら葛藤がある。

息子が父親を許すことは稀有だし、母親を許し、受け容れる女性も また稀だ。
ほとんどいない。


グルジェフは 人と会う部屋の壁に、一つの文章を書いて張っておいた。
グルジェフのような人間が、こんなに単純な文章を書くなんて信じられないことだ。
その文章とは、
「もしあなたが、父親とも母親とも 気楽になれないのだったら さっさと帰りなさい。
私には あなたを助けることはできない」というものだ。


なぜ そうなのだろう?

つまり、問題は そ こ から起こっているのだから、そこで解決されなければならない ということだ。

昔の東洋の伝統で、親を愛しなさい、尊敬しなさい、 と強く言っているのはここからきている。

親を愛し敬いなさい。しかも可能な限り深く。

なぜなら エゴが生まれ育ったのは、そ こ だからだ。
そこが エゴの土壌なのだから、そこで解消させなさい。
さもなければ あらゆるところで、それはあなたに ついてまわる。


今日の精神分析学もまた この事実に行き当たっている。
精神分析的に なされることは、両親との間にあった問題にまで 人を戻って行かせ、そこで その問題を解こうというものだ。

もし両親との間にある不一致を 解決することができたら、ほかの さまざまな不一致や 衝突は 簡単に消えていく。
というのは、そういった問題の多くが、根底にある この本来的な問題に根ざしているからだ。


たとえば、父親と気楽になれない人は、 神を信じることができない。
なぜなら
神とは〈全体の父〉という父親的な表象をしているからだ。

また、父親との間に相容れないものがある人は、職場で 上役と どうしても気楽にやっていけない。
ボスというのも 父親的な存在だからだ。

父親と 気楽に落ち着いていられない人は、 グル(導師)との間も 落ち着かない。
師(マスター)という存在もまた 父親的だからだ。

両親との間にある 小さな不一致が、あなたの人間関係 全てに反映されていく。


母親との間が うまくいかない男性は、自分の妻とも うまくやっていけない。

妻とは 男性にとって 女性を代表する存在であり、そして母親は あなたにとって 最初の女性だから、そういう人は 女性という存在に対して 気楽さを感じることができない。

母親というのは あなたにとって 女性の原形だ。

もし母親を 憎んでいるとしたら、 あるいは もし気持ちのなかに 相容れないものを持っているとしたら、あるいは、
もしあなたが 母親と長くいっしょに いられないようだったら、
つまり、退屈で 逃げ出したくなるようだったら、あなたは世界中の どんな女性とも 落ち着いた関係をもつことはできないだろう。

女性がいるところには 必ず自分の母親が付いて回って、自分と母親との微妙な関係が ずっと引きずられていく。


古代インド、ウパニシャッドの時代のインドでは、新しく結婚したカップルが 解脱に達した人のところへ来ると、その人は 必ず、まず 十人の子供の父、 母と なりなさい、と 言って祝福し、妻となった女性に向かって こう言ったものだ。
「夫が おまえの 十一番目の子供にならない限り、この結婚は完全なものとはならない、これを きっと憶えておくがいい」と。

これは なぜだろう?

なぜ夫は 十一番目の子供に ならねばならないのだろう?

そうでなければ 結婚が完成しないとは どういうことか?


その理由は こうだ。
もし男が 母親と折り合いがつくようになったら、今度は 妻のなかに 再び母親を見出すようになる。

男 というのは 常に子供でありつづけ、そして女は 生まれながらの 母親だ。

したがって女性の開花の究極は〈全体の母〉となることだ!


だからこそ私は、私の女性サニヤシンたちを「マ」、つまり母と呼ぶのだ。


そして男性の至る 究極の頂点は、子供のようになることだ。
子供のように 純真無垢になることだ。

そうなれば、世界全体と〈実存〉全体が 母親となる。
これこそ 人に 本来備わっている潜在的な可能性だ。


だが、
まずは 自分の父親、母親と 折り合いをつけなければならない。


エゴは そこで生まれたのだから、そこで カタをつけるべきだ
さもなければ、あなたは 枝や 葉っぱを切りつづけるだけで、根っこは 手も触れられずにそのまま残る。

もし 自分と 父親や母親との間が 平和に落ち着いたら、それは あなたが 成熟した ということだ。

そうなったら エゴはなくなり、あなたは 自分が ただ無力だったのだ と分かってくる。

自分は 頼っていたのであって、世界の中心では なかったのだ と分かってくる。


8️⃣へ つづく