saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

問題は 一つだけーーー5️⃣

(…エゴとは まさに この保護役の殻だ。 子供は 無力だから それを必要とし、弱いからこそ それを必要とする。)


傷つきやすく壊れやすいのに、周囲には あらゆる種類の圧力がある。

だから、子供には やはり保護が、家が、基地が、必要になる。
たとえ外側の 世界全体が無関心であっても、子供は いつでも家をあてにすることができる。
家を基地にして子供は 自分の存在意義を集めることができる。


しかし この存在意義といっしょに エゴがやってくる。
子供は エゴイスティックになっていく。

そして このエゴとともに いろんな問題が起こってくる。
数え切れないほど たくさんの問題だ。
このエゴは、あなたが恋に落ちることをゆるさない。
そして あなたの人生には 何百万の問題が生じる。


このエゴは、他者(ひと)が皆 あなたに降伏すればいいと思う。
他方 このエゴは、あなたの方が 誰かに降伏するのは認めない。


しかし、恋 (愛)は、あなたが 誰かに降伏するときにしか起こらない。

あなたが 誰かを強制的に 自分に降伏させるなら、そこにあるのは 憎悪と破壊だけだ。
愛は ない。


そして 愛がないとしたら、あなたの人生は 暖かみのない、詩情の全くないものとなる。

その生は 単調な 散文のようなものだ。
数学的で 合理的、論理的に整頓されているかもしれない。
でも 詩のない人生を どうやって生きていける?


散文が悪い というわけではない。
実際的だし 必要なものだ。

だが それだけでは 生命とはなりえない。
なぜなら
それは けっして祝典には なりえないから、祭典には なりえないからだ。

生きることが 祝宴でなかったら、その生は 退屈そのものでしかない。


詩が 必要だ。
だが 詩が生まれるためには、あなたは降伏して 全てを委(ゆだ)ねることが 必要になる。

このエゴを 投げ出すことが。


もしあなたに それができたら、たとえ ほんの一瞬でも エゴを脇に置きやることができたら、あなたの生命は 美しさの極致、神性を、一瞥することができるだろう。


詩なくしては、人は 真に生きることはできない。
ただ存在するだけだ。

愛は 詩だ。


そして、もし愛が なかったら、どうやって 祈るということができよう?


祈りのない生にあっては、あなたは ただ肉体だけの存在で終わる。
あなたの 内奥に秘められた魂(ソウル)に けっして気づくことがない。


祈りのなかで初めて、人は 頂点に辿りつくことができる。

祈りとは、経験の最高峰だ。

そして愛が その扉を開く。

祈りは、あなたを 生命の 最も奥深い神秘のなかに連れていく。
祈ることができないとき、 無数の問題がもちあがる。


カール-グスタフ-ユングといえば、その一生を 何千人という数の病人、精神的に欠陥のある人々や 心理的に混乱している人々を研究した人だが、


6️⃣へ つづく